4.父との戦いと価値観の変化

両親は明治、大正、昭和の厳しい時代(父は平成5年没)を、自分の力だけを頼りに生き抜いてきた。父は11歳の時に農家を飛び出し、商売人になると決めて生きてきたのだろう。家族と離れて1人で寂しい生活を送った。父は両親、兄弟、従妹等の親戚とか他人の面倒見を異常に大切にしていた。勿論、相手からも尊敬されていたようだ。

この考えも体験から生まれたのだろう。沢山の仕事をし、沢山の経験を積み、人生観を形成してきたに違いない。父が大切にしてきた価値観は簡単に変えられるものではない。

しかし、敗戦により軍国主義から民主主義へ、全体主義から個人主義へと大きく考え方は変わってきた。義務教育も4年制から9年制に拡大され、貧しい時代ではあるが国家も教育に力を入れ始めた。時代の変遷により社会の仕組みも考え方も大きく変わってきた。

しかし、強烈な体験をしてきた両親の考えは変わらない。サラリーマンの子供は我が家よりは貧乏だが、家事手伝いを強要されることもなく、勉強を妨害されることもない。自由な時間は山ほどある。勉強もやりたいだけできるので、彼らには勉強面では勝てない。

私は学校から帰れば配達の仕事が待っているし、土日と祭日は私の労働日だ。父は勉強をしなくて良いと言うし、私は勉強をしないので、学校では完全な敗者になっていた。経済的には恵まれたが、サラリーマンの子供が羨ましかった。

中学校は1学年に600人ものマンモス校であり、期末テストの成績が年に3回、1番から約100番程度まで職員室の前に貼り出される。幸い3年間で番外になったことはないし、徐々に成績も上がっていった。私は親に成績のことは言わないが、公表されるので子供の成績は地域社会で知れ渡っている。個人情報も関係のない酷い時代である。お客様が両親に報告するので私の成績はバレバレである。

父は勉強をする必要はないと言いながら、私の成績を知り嬉しそうにしていた。父は単純な人で、私の成績を近所の人に自慢していた。私はそんな父が嫌で仕方がない。