【前回の記事を読む】父の商売が繁盛して私の仕事はどんどん増えた。土日は勿論、平日も学校が終わると力仕事。父は「勉強などする必要ない」と言うが…

生い立ち編 「勉強こそが人生を切り拓くと信じて」

4.父との戦いと価値観の変化

中学3年生の時に問題は起こった。当時は家庭の経済状況により高校に進学できるのは約半分だ。勉強ができても高等学校に進学できない子供は沢山いる時代だ。私の家は金持ちだし、私の学力も問題はない。家の手伝いもしているから進学の権利はあるので進学校(県立兵庫高校)への受験申請をしていた。

ところが父は商業高校への進学を譲らない。父が始めた商売を私に継がせたいと思っていたのだろう。私は科学者への道を希望していた。両者は譲らない。

当時父は絶対的権力者で私は刃向かえない。商業高校は嫌だと家では拗ねていた。父は困り、親しくしていた中学校の体育のH先生に相談した。

H先生は県立夢野台高校を勧め、そこで1番を目指せば人生が変わると説明した。変な理屈だが、父は私に相談することなくその日の内に私の志望校を変更してしまった。

必死に頑張ってきたのに、父に進路を勝手に変更され、人生最大の屈辱を味わった。志望高校へ願書変更をしたいと思ったが、どうすれば良いか分からないし、相談する人もいない。泣き寝入りとなってしまった。

この事件は私にとって人生で最大の敗北となり、その後の人生に影響を及ぼした。自分の人生は自分で何とかすべきとの思いは益々強くなった。

小学5年生の時には進学校の県立兵庫高校へ進み、京都大学を目指して研究者になりたいと夢見ていたが、その夢は早くも父親に潰された。勿論、兵庫高校に進学していても家庭環境から、勉強時間も少ないので京都大学への進学はとても無理と思われたけれど。

中学時代はそれなりに頑張ったが、早くも夢は潰された。

中学3年生のクラスは仲が良く、私も勉強ができるグループに入り、クラスの委員をしていた。卒業式の前日には沢山のノートが机の上に置かれていた。大半は女性で、高村光太郎の〝僕の前に道はない〟の詩(道程)を書いて渡した。残念ながら、男友達は沢山いたが女性の友達はいなかった。その後も彼女はできずに寂しい青春時代を過ごした。

初恋とは何なのだろう? 中学時代には初恋もしたが、話しかける勇気はなかった。