(この菩提樹はもともと〝神木〟だったんだわ)
いつの間にかしめ縄が朽ち落ちて、長い年月の間に、昔からこの町に住んでいた人たちだけでなくすべての人の記憶から薄れていったのだ。一番近くに住んでいる沙那美さえ、〝神木〟の記憶はまったくなかった。
そのとき、沙那美はまた稲妻を感じた。
(あの菩提樹はわたしの〝命の恩人〟。あの大樹がなかったら、わたしここにいない。永久保存を願い、どうにかして昔の写真のようにしめ縄をもう一度締め直そう)
そうおもうと、心が逸る。あとはこの町の人びとにこの菩提樹がもともと〝神木〟であることを知ってもらわなければならい、とおもった。
彼女は専業農家で母方の叔父・佐藤雅史をおもい出した。雅史は六甲山を越えたところに住んでいる。大晦日にはいつも正月飾りを届けてくれる。しめ縄なんて御手(おて)の物だろう。無理は承知、だめもとだ、と電話をしてみた。
「わかった。明日の夕方までには届けてやるよ。〝神木〟を飾るしめ縄やな。確かわしも見た覚えがあるよ。その古い写真をファックスしてくれるかな」
「はい、あの菩提樹がもともと〝神木〟なのをみんなに知ってもらいたいんです」
「ああ、〝神木〟ということはあんたのかあさんからも聞いたことがあるよ。大樹の幹の周りの大きさは?」
「三メートルぐらいです。すぐに写真をファックスしますわ」
沙那美は微笑んで電話を切った。
写真をファックスした後早速、習字用の半紙でしめ縄に下げる紙垂 (かみしで)を作った。あとは御神酒(おみき)だ。酒は下戸(げこ)だからキッチンの床下収納庫には到来物が何本か眠っている。いつでも用意ができる。
次の朝は、雨が降っていた。菩提樹の葉からの雨が窓を打ち、雨滴がガラスを伝って流れる。
沙那美は市役所に苦情と要望をどう伝えるかまだ決めかねている。雨もよいが彼女をなお一層、憂鬱な気持ちにさせた。
次回更新は4月10日(木)、22時の予定です。
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