ユミはサンドイッチを食べようとしている。ゆで卵をペースト状にしたもの、ハム、レタス、チーズ、薄くスライスしたトマトを組み合わせたミックスサンド。とてもお上品なランチに見える。一口食べて、ストローでアイスコーヒーをちょっと。そして僕を見て、

「ヒロくんは何を聴くの?」

と逆に訊いてきた。

「最近は何を聴いてるんですか?」

と、小百合さんも同じ質問をする。

「バッハの『フーガの技法』とベートーヴェンのピアノソナタですね。さっきも言ったけど、彼らは全然何も語ってくれないし、よしっ頑張ろうなんていう気にはさせてくれない。

だから図書館に入り浸ることになったんだけど、このままじゃダメだ、図書館に行って片っ端から何でも読んでみろってね、バッハとベートーヴェンがただそれだけは言ってくれたのかもしれません。たしか、彼らはそんなふうな人物だったような気がします」と僕は答えた。

「誰の演奏とか、こだわりはあるんですか?」と小百合さんがさらに訊くので、「バッハはカール・ミュンヒンガー指揮、シュトゥットガルト室内管弦楽団。ベートーヴェンのピアノソナタは曲によってヴィルヘルム・バックハウスとヴィルヘルム・ケンプを聴き分けてます」と僕は続けた。

ユミが「どう聴き分けるの?」と訊くので、

「バックハウスは圧倒的なテクニックの持ち主だから、曲全体を連続した一連の物として弾き倒す。聴き手は圧倒的な演奏力に感動するけど、時に、本当にちょっとだけ、ほんの一瞬の考える間(ま)、聴き手の僕が考えたいと思う間(ま)のことだよ。その間(ま)を取り切れないことがある。指が一瞬速く動いてしまうことがあるんだ、こちらが期待するよりもね。

一方、ケンプは祈るように弾く。一音一音の重なりが曲を形成するという弾き方だから、聴き手の僕は一つ一つの音を演者と伴に辿りながらじっくり味わうことができる。音と音のあいだとしての絶妙な〝間(ま)〟の作り込みを体感し感動することができる。でも逆に、聴き手が期待するような一気呵成にならないことが、時にあるんだ。抑制が効いた演奏という事もできるけどね。

聴き手には曲によって求めること、期待することが違うから、その曲に何を求めるかで、二人を聴き分けることになるんだよ」

と、僕は答えた。

「それって、具体的に言うとどういうこと?」とさらにユミが訊く。

僕はちょっと考える。そして今一番好きな、というか、こりゃあつくづく参ったなと思っている曲について正直に語る。

 

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