源造は厨房に戻ると、あらぬ方を見つめてぐいぐいと酒を呷った。彼は仕事中に酒を口にすることはない。それと気づいた洋子が怪訝な面持ちで見た。

「どうかしたのお父さん?」

「今日はもう店仕舞いだからな」

源造はわざとらしく剽軽な笑顔を作った。洋子はその表情の何となく哀しげな色が気になったが、それ以上何も言わなかった。

  

雨がしとしとと降っていた。骸骨はポツンと板の間に腰をかけていた。もう逃れる術はないのではないかと思った。どこでどう調べたのかは知らないが、こんな所まで跡を突き止めた伊藤医師の嗅覚はただ事ではなかった。狙った獲物を逃がしたことはないと言った彼のことばが耳にこびりついて離れなかった。

一層のこと夜中に出奔しようかとも考えた。だがお世話になった源造一家に何も告げずに去るのは心苦しかった。せめて和美に一言謝って、その笑顔を見てからのことにしたかった。

ふと戸板がコンコンと叩かれたような気がした。だが風が吹いて窓がカタコト鳴っていたから、そのせいだと思った。ところが再びコンコンと戸を叩く音がする。

「ハ、ハイ?」

返事と同時に戸板がガタピシ鳴って、源造が姿を現した。彼は入り口に立つと、暫らく睨むような目で見た。

「お、お前のことは嫌いじゃない。よく働くし、和美も懐いている」

源造は苦し気な声でそう言うと目を逸らせた。

「だけど、に、人間ではない‥‥あの子を、任せる訳にはいかん。分かってくれ」

    

次回更新は4月11日(金)、11時の予定です。

 

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