これらの内陸国は、人の移動はともかく、物資の輸送では、他の国を通らねばならず、豊富な天然資源があっても、隣接国との関係がうまくいっていないと輸出に障害があるし輸入にも障害がある(行った所では、ベラルーシ・(北)マケドニア・アルメニア・キルギス・ウズベキスタン・モンゴル等)。
日本人の海外渡航(海外への旅といえるかは分からないが、海外渡航は、海外旅行よりひろい概念)といえば、古くは国として派遣の遣隋使・遣唐使(イギリスで、大陸から移動したケルト人が文字を持たず、ローマ人が文字を持ち込み、ローマの国家統治の技術をローマ人が持ち込んで初めて国家の体をなしたように、日本でも中国から文字・統治制度を持ち込み律令制(命令と刑罰、国家のコントロールシステム)が実施されて初めて国の体をなしたが、それ以前(国の体をなす前)でも、沿岸部の部族は、交易・略奪のために朝鮮半島・大陸に船で乗り出した事は容易に想像がつくが、文献上現れていない)、倭寇(海賊・商人? 必ずしも日本人ではなかった。
西洋ではもっと荒々しいイメージがある同様のヴァイキングがある。倭寇といえば、鄭成功の父親は、明代後期の中国人倭寇の首領だったと思われる。
その子鄭成功は日本人母とのハーフで、幼少時平戸島ですごし、日本では浄瑠璃の国性爺合戦で有名だが、台湾ではオランダ人を台湾から追放した英雄として、孫文・蔣介石と並んで、三大英雄とされている。
台湾の人が日本に親近感を持つのは日本統治時代のインフラ整備以外にこの事が一因であるためかもしれない)、戦国時代の天正遣欧少年使節団(九州のキリシタン大名の名代としてヨーロッパに派遣された 4 人の日本少年使節団)、仙台伊達藩の支倉常長らの慶長遣欧使節団(この時は既にマゼランによって太平洋が発見されていたので、太平洋・メキシコ(横断)・カリブ海・キューバ(ハバナで記念碑を見た事がある)・大西洋・スペイン・ローマのルートである)、御朱印船貿易・南蛮貿易に従事して海外に渡った人々らがいた。
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