【イチオシ記事】妻を亡くした寂しさから始めた一人旅。今となっては人生の楽しみそのものであり、空港は特別な場所であった。
羽田空港~ドバイ首長国・ドバイ国際空港~
スウェーデン・アーランダ空港
1903年12月17日、ライト兄弟による人類初の動力飛行が成功したとあるが、本当に凄い偉業だと思った。命がけの飛行から安全快適な飛行へ、人類ホモ・サピエンスの英知が創り出した機械なのだ。
チェックインが済んだ後のフライトまでの時間が、顕治にとって至福の時間だった。日常生活では、時間にルーズで走り込んで間に合うといったようにゆとりのないことが多いのに、飛行場にはたっぷり余裕を持っていく。
今回はゆっくりとラウンジを利用できる楽しみがあった。飲み物も豊富で、すでにアルコールを飲んでいる人もいた。顕治もお酒は嫌いな方ではないが、今飲んだら体調を崩してしまうことは明らか。74歳の体を自覚し、お酒をコントロールすることも旅を続ける必須条件だ。
145搭乗口からいよいよ搭乗だ。座席は通路側44G、日頃から水をよく飲む顕治はトイレが近い。高齢になってからその頻度が高くなり、家族からは病気ではないのと心配されるぐらいだった。今回の座席はもちろんエコノミーだ。トイレにも近くそれだけで安心する。それにトイレへの行き帰りも、狭い座席からの解放、そして機内を見渡せる機会でもあった。
機内に入り座席を探す。今日は隣はどんな人かなと少しは気になる。若いときは、それは大きな関心事だった。隣に若い女性がいるならときめいていた。ひょっとしたらの展開も期待できるかもしれない。高齢になるということは精神的なときめきが少なくなっていく、あるいはなくなっていくことなのか。いつまでも、ときめいていたい!と顕治は思った。
隣をちらっと見ると若い女性だった。瞬時に整った端正な美人だと認識した。高齢になっても、若い女性にはときめいてしまう。その逆もあるのだろう。顕治は元中学の教師だった。そのせいか若者の近くにいることを好んだ。
中学の教師だった頃は、当たり前のように13歳~15歳の子どもたちに取り囲まれていた。今思い起こせば、男子も女子もどの子どももすべてが輝いているように思えた。化粧をしなくてもすべすべした肌、ふさふさした髪の毛。その中にいると自分も若い気分になっていた。だから顕治は若い人の中にいたかった。
機内食が用意され始めた。機内がざわめき、隣の人と声を交わせる雰囲気になる。顕治は人との交流を好んでいた。「こんにちは」と隣の女性に声をかけた。「こんにちは、よろしくお願いします」と爽やかな声が返ってきた。
挨拶からすべてが始まるというが、挨拶しても応えない人、うなずくだけの反応の人を知っていた。顕治のように見るからに高齢者は相手にされないこともあった。だから、言葉を返してくれただけで顕治はうれしかった。この女性とは会話を続けられるかもしれない。