【前回の記事を読む】【東日本大震災 復興】2つの山を削り、街をゼロから作る。総延長3kmのベルトコンベアー。1日に10tトラック4000台分の土を運ぶ。
Chapter3 被害状況と復興
地域ごとに見る被害状況
大船渡市
明治三陸地震、三陸大津波、チリ津波と3度の大津波を経験する大船渡市。東日本大震災による津波はみるみる街を呑み込んだ。その様子は齊藤賢治さん(一般社団法人大船渡津波伝承館館長)が撮影した映像に克明に記録されている。
揺れ始めた直後、堀の魚が暴れて水面を飛び跳ねる。津波が来るぞと従業員に避難を呼び掛け高台に逃げる。家業の菓子店舗や街を呑み込む津波の映像を撮り続けた。商店街は跡形もない。
大船渡市は復興基盤整備期(2011年~2013年)、復興展開期(2014年~2018年)と称し震災復興計画を実施中。1期工事区域、 2期工事区域と分け大船渡駅周辺は現在(2014年記載)、嵩上げの工事中である。山裾にあたる国道45号線沿いは一部再開した商業施設があった。仮設店舗や再開した店舗など嵩上げ工事を進めた範囲が一望に眺められる状況にある。
繰り返される津波被害、それに対応する内容に覚悟をしながらも2011年12月に夢商店街が仮設でスタートした。他の被災地よりも早い復旧である。2017 年4月に本設のおおふなと夢商店街を再スタートさせた。
時が経つにつれ、来店客の数にも波が出始め、何度か商業施設のアドバイスに足を運んだ。S製菓は震災の年 12月までに沿岸で被災した5店舗の再開を成し遂げた。しかし本店はまだ仮店舗での再開である。その年に市内の国道沿いに本店を構えたいということで設計に入った。
その立地は以前、店を構えていたところから離れた場所だった。経営者は復興の立地に相応しいのか悩み続けた。ほぼプランは固まりつつあったところで、その地を断念した。大船渡市の復興計画をにらみながら、社長はこの地の開発事業を担当するUR都市機構とプランを煮詰め、大船渡駅前に再開したのが2019年。震災の8年後になる。