気仙沼市

2011年6月、子供服支援物資を持って私は気仙沼市の離島である大島に向かった。港から見る風景は災害の大きさを物語っていた。津波で破壊されたプロパンガスボンベから噴出したガスやコンビナートから流出した油によって、海面が大火となり入江が焼け焦げ、裾野は黒く帯状に伸びていた。

港で迎えてくれたのは漁船。物資を載せて私たちを大島へと走らせる。船を出す青年たちは被災の衝撃で言葉を失ったのか、下を向きながらも一生懸命に対応する姿は印象的であった。

大島に着いた時の風景はさらに想像を超えた。高さ235mの亀山に据えられた全長903mのリフトは乗り場から頂上まで黒く焦げていた。フェリーは津波で3m高い陸に打ち上げられ船底が見えていた。船着場から見上げる先に船体の底を見せているフェリーの光景は体に震えをおぼえるほど異様なものだった。

2014年7月、2度目の訪問。被災地に支援したいと取引先でもある北海道のほんだ菓子司社長本田日出雄氏、山口県のトロアメゾン社長水上隆男氏と弊社スタッフK さんと4人は車で向かった。

仙台市から気仙沼市の国道 45号線の道のりは被災3年が経っていてもいまだ復旧工事中。道は破壊されたままのところもあり1.5倍の時間を要した。国道45号線は被災の傷口がいまだ数多く見られた。大島へは1便遅れの乗船だった。非常時の船は定員オーバーを許す運航である。着いた大島の港は全く機能を呈していない。

支援物資に目を向ける島民はほとんど無口であった。心に受けた衝撃の大きさは想像もできない。菊池校長始め小学生たちは私たちを待っていて、体育館で遅れた昼食を共にしてくれた。

小学生は武道の演技を披露してくれた。被災に負けず必ず復興しますと言わんばかりの真剣なまなざしに、私たちは息を呑んだ。その後、本田社長は菓子を送り届け、島民と数度文通を重ねて、被災した心を支えていた。

2014年11月視察。仮設商店街「南町紫市場」「復興屋台村」が港の脇に建つ。さんまやふかひれで有名な気仙沼港は漁業の中心であり大島の玄関口でもある。港の機能はとりあえず回復。旧市街地は国登録有形文化財である「角星店舗」や「男山本店店舗」の建物復旧工事中であった。他の建物はほぼ解体されていたが、被災の後はいまだにそのままである。