【前回の記事を読む】【東日本大震災】「陸に打ち上げられ、船底が見えているフェリー。震えるほど異様な光景だった」…大船渡市、気仙沼市の被害状況記録

Chapter3 被害状況と復興

地域ごとに見る被害状況

【2018年10月現場で感じたこと】

商業施設の復興にあたり国や県、地元商工会などが活動している。気仙沼商工会議所で一商業者の復興事業の対応に悩んでいた。その一例を記す。

被災前のお店を取り戻したいと願う店主は80歳を超えていた。4分の3の補助金が出る事業に再建を描いている。

震災よりすでに7年が経っている。事業計画を提出して採択されるまでに1年近く掛かる。それから店舗の設計及び建築である。

資材不足と人手不足の建築は期間が読めない。オープンする時には震災からすでに10年が経っていることになる。「震災前の姿に戻したい」と言われても環境は大きく変化していて商業施設の経営は成り立たない。

自己負担の借入返済が始まる時はすでに80歳半ば、仮に15年間の返済計画を立てても完済の年には100歳である。

店主の必ず復興するという思いにはどうしても応えられないのである。心のケアーも必要であると頭をよぎりながらのアドバイスである。

【2019年12月(8年目の検証)より】

▪鹿折商店街

震災前30店舗以上が軒を連ねていた「鹿折かもめ通り商店街」は姿を変え2017年3月までに6店舗がスタートしている。

中央に歩いて買い物ができる道を作り左右に商業施設10区画を連ねるという復興計画である。近隣には復興住宅が建ち並び始めた。すでにオープンしているお店を合わせスーパー3件の出店計画があった。

この環境で商店主たちは共存していけるのか悩みに悩み「鹿折かもめ通り商店街」での再建を断念し敷地を駐車場にするという話も聞こえてくる。

廃業に追いやられた商店も数多い。このプランを計画していた某先生は開発時には席を外していた。中途半端な関係の中で取り残された商店主たちは誰を頼って事業を進めたらよいのかわからないまま時が過ぎていった。

スタート時点から市場を予測しながら計画を進められる専門者が関わっていたらと思う事例である。