南三陸町
震災のあった3月下旬、手掛けたお店を訪問した。途中7km内陸まで津波が川を上ったと聞く側道を走り、杉の木の枝に遺体が引っ掛かっていたと聞く道を通る。
当時ハンドルを握る手は震えていたように思う。現地に到着したがどの位置にお店があったのか判断がつかない。 2~3周してやっと着いた雄新堂菓子店、建物や300kgを超えるデッキオーブンや冷蔵ショーケースは跡形もなく消えていた。
近隣JR志津川駅前にあった家電ショップ遊電館には、波にさらわれたのだろう、家電商品がどこにも見当たらない。高さ7mを超えた建物はむきだしの鉄骨のみが残っていた。建物の最上部には赤い布団が引っ掛かっていた。
人影はほとんどなく安否確認のしようもない。無人の廃墟というべき光景を前に、復旧や復興の様子は全く想像つかない。何がどのようになったのか理解が及ばないまま廃墟を後に帰路に就いた。安否確認ができたのは1年を過ぎたころだった。
南三陸福興市では4月29日、30日と市が開催された。到着して最初に目についたのは災害復興のため派遣された沖縄の自衛隊車両。他に各地からも自衛隊が駆け付けていた。県外各地の警察車両も多く走っていた。
高台にある志津川中学校を会場に執り行われた福興市。そこには鹿児島県、愛媛県、福井県やその他、各地から多くの支援者が来ていた。また支援物資も届いていた。
運動会テントの中ではカレーライス100円でブースを構えており、女子中学生が大きな声で呼び声をしている姿が胸を刺した。
夕方にはEXILEなど芸能人も支援に駆け付けてくれた。被災者は言葉にならないほどの感激を、大きな、大きな声援に変え、迎えていた。
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