ここでは2011年9月までの状況を記す。前の章でも軽く触れたが、震災発生から3日後くらいには事務所の片付けをしながらお客様に連絡を試みたり、現地に足を運んだりして被災状況の確認を始めた。三陸沖を震源としたマグニチュード9.0という巨大エネルギーの放出は、自分が住む街の至るところを破壊したが、仕事に関わる商業施設もその例外ではない。大型店舗やスーパーなどは「人が集まるところ」なので安全基準も高く、…
[連載]商業施設士が見た東日本大震災
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評論『商業施設士が見た東日本大震災』【第6回】飯塚 康司
ローコスト構造に取り組む下階駐車場を有する大型店舗は被害大。売り物にならない商品が駐車場に山積みに
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評論『商業施設士が見た東日本大震災』【第5回】飯塚 康司
私が商業施設士になるまで 職人の父のそばで幼いころから木箱やうさぎ小屋、竹細工の編みかごなどを作っていた。
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評論『商業施設士が見た東日本大震災』【第4回】飯塚 康司
商店街から美術館や劇場まで 豊かな生活の場を作り出す商業施設士という職業
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評論『商業施設士が見た東日本大震災』【第3回】飯塚 康司
3・11から一月後。ヒースロー空港で入国待ちの列から「フクシマ」と聞こえてきて…
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評論『商業施設士が見た東日本大震災』【第2回】飯塚 康司
「もうだめです。だめです」と叫んでいたリポーター。この時初めて避難しようと判断した
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評論『商業施設士が見た東日本大震災』【新連載】飯塚 康司
地震・津波・原発と3種類の災害を体験した東日本大震災。商業施設士視点の復興とは