【前回の記事を読む】「買い物には便利だが観光民宿として生きていくには橋はいらない」――被災地各所では復興と開発の狭間でもがく人たちがいた南三陸町(志津川地区)、マスコミでも多く取り上げた鉄骨むきだしの防災センターが印象的だ。瓦礫の片付いた跡地にある仮設店舗「南三陸さんさん商店街」と 1960年に高さ6.4mのチリ地震津波が押し寄せた記憶を残す「モアイ像」が訪問者を迎える。今回は15.9mの津波が…
[連載]商業施設士が見た東日本大震災
-
評論『商業施設士が見た東日本大震災』【第11回】飯塚 康司
津波からの再出発――南三陸と女川、商業復興と心のケアの両立を目指す歩みとは? 人と街の再生を支えた挑戦の記録
-
評論『商業施設士が見た東日本大震災』【第10回】飯塚 康司
「買い物には便利だが観光民宿として生きていくには橋はいらない」――被災地各所では復興と開発の狭間でもがく人たちがいた
-
評論『商業施設士が見た東日本大震災』【第9回】飯塚 康司
【東日本大震災】「陸に打ち上げられ、船底が見えているフェリー。震えるほど異様な光景だった」…大船渡市、気仙沼市の被害状況記録
-
評論『商業施設士が見た東日本大震災』【第8回】飯塚 康司
【東日本大震災 復興】2つの山を削り、街をゼロから作る。総延長3kmのベルトコンベアー。1日に10tトラック4000台分の土を運ぶ。
-
評論『商業施設士が見た東日本大震災』【第7回】飯塚 康司
【東日本大震災】道路の陥没、ずれ…物流の混乱が被災者に追い打ちをかける。新潟から仙台に着いた運転手は、自分のおにぎりも…
-
評論『商業施設士が見た東日本大震災』【第6回】飯塚 康司
ローコスト構造に取り組む下階駐車場を有する大型店舗は被害大。売り物にならない商品が駐車場に山積みに
-
評論『商業施設士が見た東日本大震災』【第5回】飯塚 康司
私が商業施設士になるまで 職人の父のそばで幼いころから木箱やうさぎ小屋、竹細工の編みかごなどを作っていた。
-
評論『商業施設士が見た東日本大震災』【第4回】飯塚 康司
商店街から美術館や劇場まで 豊かな生活の場を作り出す商業施設士という職業
-
評論『商業施設士が見た東日本大震災』【第3回】飯塚 康司
3・11から一月後。ヒースロー空港で入国待ちの列から「フクシマ」と聞こえてきて…
-
評論『商業施設士が見た東日本大震災』【第2回】飯塚 康司
「もうだめです。だめです」と叫んでいたリポーター。この時初めて避難しようと判断した
-
評論『商業施設士が見た東日本大震災』【新連載】飯塚 康司
地震・津波・原発と3種類の災害を体験した東日本大震災。商業施設士視点の復興とは