イトーヨーカドー系は震災翌日から店頭にて営業した(広報担当談)。各地元のスーパーの半数の店も店頭にて営業していた。震災後1週間から10日間は毎日早朝から食料を求める250人超の長蛇の列を目視。後、数十人の列が3月下旬まで続いた。商品を買占める姿は見られない。お互いの視線が冷静な行動を促したのではないだろうか。日本人は凄いと実感する。まずは食料と日用品の対応が重要だ。2014年7月、イオン系は陸前…
[連載]商業施設士が見た東日本大震災
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評論『商業施設士が見た東日本大震災』【第7回】飯塚 康司
【東日本大震災】道路の陥没、ずれ…物流の混乱が被災者に追い打ちをかける。新潟から仙台に着いた運転手は、自分のおにぎりも…
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評論『商業施設士が見た東日本大震災』【第6回】飯塚 康司
ローコスト構造に取り組む下階駐車場を有する大型店舗は被害大。売り物にならない商品が駐車場に山積みに
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評論『商業施設士が見た東日本大震災』【第5回】飯塚 康司
私が商業施設士になるまで 職人の父のそばで幼いころから木箱やうさぎ小屋、竹細工の編みかごなどを作っていた。
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評論『商業施設士が見た東日本大震災』【第4回】飯塚 康司
商店街から美術館や劇場まで 豊かな生活の場を作り出す商業施設士という職業
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評論『商業施設士が見た東日本大震災』【第3回】飯塚 康司
3・11から一月後。ヒースロー空港で入国待ちの列から「フクシマ」と聞こえてきて…
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評論『商業施設士が見た東日本大震災』【第2回】飯塚 康司
「もうだめです。だめです」と叫んでいたリポーター。この時初めて避難しようと判断した
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評論『商業施設士が見た東日本大震災』【新連載】飯塚 康司
地震・津波・原発と3種類の災害を体験した東日本大震災。商業施設士視点の復興とは