Chapter3 被害状況と復興
商業施設ごとに見る被害状況
ここでは2011年9月までの状況を記す。
前の章でも軽く触れたが、震災発生から3日後くらいには事務所の片付けをしながらお客様に連絡を試みたり、現地に足を運んだりして被災状況の確認を始めた。
三陸沖を震源としたマグニチュード9.0という巨大エネルギーの放出は、自分が住む街の至るところを破壊したが、仕事に関わる商業施設もその例外ではない。
大型店舗やスーパーなどは「人が集まるところ」なので安全基準も高く、堅固な建築構造が備わっているにも拘らず、破壊されたエスカレーターや、天井の落下が広範囲に見られた。
商業施設は生活に密接に繋がるものであるので、物理的な被害の状況を素早く正確に把握することが必要で、私はコンビニエンスストアーや大型店、スーパーやショッピングセンターなどを見て回った。そして、一定期間にそれぞれの復興状況を確認した。
手掛けたお店の被災状況を収集し復旧に走る毎日。協力業者の大工職人は多くの復旧工事に振り回されており手配が行き届かず、私は自ら走ることになった。
ガソリンスタンドは長蛇の列。給油に5時間から8時間以上も掛かる時があった。早朝、薄暗い時間から事務員さんはおにぎりを持って給油の列に。
給油されたガソリンを作業車に移し替え復旧作業に走らせた会社もあった。ガソリンの価格を1.5倍近く値上げしていたところもあった。今ではその会社の姿はない。
私はこうした状況で給油が思うように叶わず、自転車を購入した。荷台に大工道具を積み、市内を回っての緊急な修繕。1週間から10日続けた。その後も遠くは乗用車、近隣は自転車移動が3週間続いた。
停電で信号が消えていたので運転は緊張を要したが、交通事故はほとんどなかったことを不思議に感じた。車は生活の足であることを切に感じた。
自転車で移動中、商業施設の状況を観察して回った。建物がつぶれ、天井は落下し、商品棚は倒れ、商品は散乱。そんな店舗が数多くあった。その姿はしばらく見受けられたが、そんな中で店頭では食料品や生活雑貨を販売していた。