「これだけ傷だらけになった身体をさらに傷つけることは許さない」
母はそう言って司法解剖に反対したが、父は最終的に理解した。司法解剖の後、葬儀が行われた。スタートラインに着いたばかりの若すぎる死だったので、ささやかな葬儀だったが、春まだ浅く肌寒さの残る中、親戚や友人が集まってくれた。
結局、死因は外傷性ショックおよび失血。アルコールや薬物も見つからず、くも膜下出血や心臓発作など、身体的な原因も否定された。喉の奥のとげはますます大きくなった。通夜から葬儀に至るまでの一連の居場所情報提供は忘れずに自分で行った。父と葬儀会社の間で決められたスケジュールをADAMSに入力した。
その間、現実に引き戻されたような、麗央の死や自分の悲しみとはかけ離れたところに、もう一人の自分がいるような不思議な感覚がした。
サーキットチームの親会社であるK&W社は、レース中の単純事故として報告書を上げてきた。
「回収したマシンの残骸の中には車の不備を示すものは何もなかった。エンジンからブレーキ、ハンドル、シャーシ、シートベルトに至るまで、何ら問題は見つからなかった」
そこにはこのような内容が書かれていた。暗に、世界一の難コースなのにそれに見合う技術を麗央が持ち合わせていなかったのが原因だと言わんばかりだった。
それから一ヶ月ほどして、同じK&W社のマシンで今度はベテランのレーサーが事故を起こした。どこかのサーキット場のパドックで映した写真に仲良く収まっていた男だった。麗央はミシェルと呼んでいた。
ミシェルのマシンは大きくコースを外れ、芝生の上で止まった。周りを走る三台を巻き込みながらの事故だった。幸いにも怪我人などはいなかったが、原因解明が求められていた。今回は、ブレーキシステムに不具合を生じていたとの報告があった。不具合の原因は、コックピットのミスとのことだった。
その後、K&W社の一般車両が事故を起こした。F1マシンではなく、一般の車両が立て続けに五件、ミシェルのときと同じようなブレーキの不具合と思われる事故を起こした。さらに、別の会社の車でも同じような事故が起きた。どの車もスポーツタイプの超高級車と呼ばれている車だった。
愛莉は兄の葬儀の後、一連の事務手続きを済ませ、ナショナルトレーニングセンターに立ち寄って、いくつかのアドバイスをもらい、スイスの合宿に帰ってきていた。二ヶ月近いブランクを取り戻そうと、必死で練習に励んだ。練習に集中すれば、麗央を失った心の痛みを吹っ切れるかと思ったが、頭から離れることはなかった。
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