インドネシア勤務最終日

二〇一六年十二月、インドネシアで約四年半にわたる勤務の最終日、終業時刻の一時間前に一人の従業員から「会議室に来てください」と言われた。会議室に入ると、私の顔写真と名前が書かれた大きなバナーが壁に貼られている。そのあと、事務所の社員が次々と集まってきて、サプライズ送別会が始まった。

私が入社して以来、いつの間にか撮られていた私の写真を集めたパネル、従業員が描いた私の似顔絵、インドネシアのインスタントラーメンで作られたタワー、手作りのワヤンの模型、バティックの服、自分たちで作った民芸品などの多くの心のこもった記念品を各セクションからいただいた。

そして最後に全員からと言って「ミスター・ミヤナガとの思い出」というタイトルのMP3データが入ったUSBメモリーを受け取った。

そのあと、生産現場に行くと、各セクションで握手やハグ、それに写真撮影、中にはツーショット写真まで求められ、まるで芸能人になったような気分になった。

定年間近、五十代の製本作業現場セクション・リーダーの男性がうっすら涙を浮かべ、「いままでありがとう」と言ってハグしてきた。インドネシア人の情の厚さに感動してしまった。

当日は、日本からも取締役でインドネシア法人の社長が来てくださり、後任の工場長、ジャカルタ駐在の副社長とともに、会社のメンバーとの最後の夜の食事をご馳走になった。

副社長からは「仕事をしたくなればいつでも戻ってきてください」と言われた。私を採用し、スラバヤで働く機会を与えてくれ、慣れない業務を全面的にバックアップしてくれたこの会社には感謝の念でいっぱいである。

後任の工場長は以前、私が勤務していた会社のインドネシア現地製造法人の元社長で、定年退職後スラバヤで工場経営のコンサルタントをしていた。

彼はインドネシア人の女性と結婚し、スラバヤに住居を構え、永住するつもりであったので、私の後任として最適と考え、推薦したところ採用された。

翌日、皆からもらった餞別の品を整理し、「ミスター・ミヤナガとの思い出」を再生してみた。

『Don’t You Remember』のBGMに乗せてこれまで従業員が撮ってくれた数々の写真とともに、各部署からの私へのメッセージと自分たちの写真が入っている。

今でもこのビデオを見るたびに、これまでの人生でおそらく最も密度が高く充実していたスラバヤ時代の記憶が鮮明によみがえる。

次回更新は3月22日(土)、8時の予定です。

 

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