最終監査

最初に監査を行ったインド人が最終の監査に向けて、何度もメールや電話で進捗状況をチェックし、また、フォローアップのためシンガポールから何度も来社してアドバイスをしてくれた。しかし、なかなか要求されるスピードに応えることができず、インド訛りの英語の電話がかかってくるたびにプレッシャーが高まり憂鬱になった。

最終となる第三回の監査は十一月というメールが来た。この監査に落ちたら仕事は受注できない。しかし、会社はすでに、私がこれから死ぬまで無給で働いても取り戻せないほどの設備投資をしていた。

私がいつも朝の生産会議で「我々の工場」と言っていたせいか、従業員も他人ごとではなく自分たちのことと捉えているようであった。

日常業務に加え、QAやQCの担当者はISO9001のマニュアルに従って、書類に不備がないか、検査方法が適正か、毎日夜遅くまでチェックしていた。

倉庫の担当者も通常業務の合間に千枚近くある工場内のパレットが殺菌済みであるか、膨大な数の材料、出荷待ち製品の置き場所や表示が適切かを一つ一つチェックしていた。生産現場も作業手順や仕掛品の保管状況をチェックしていた。

私も毎日、工場の全エリアを細かく点検して回った。購買や営業などの事務所のメンバーも契約書や伝票、書類に漏れがないかチェックした。

さらに、その医薬品メーカーのインドネシア工場の工場長、生産、購買、品質保証の各マネジャーもたびたび工場に来て指導してくれた。インドネシアであることを忘れさせるくらい、工場全体に緊張感がみなぎっていた。

いよいよ、十一月、最終監査の日がやってきた。監査の前日はスラバヤの自宅まで戻らず、会社の近くにあるホテルに泊った。全部を点検できるはずもなく、気休めでしかないが、監査当日は朝五時半に出社して再度工場の目に見えるところをチェックした。あとは従業員を信用し、運命を神に任せるしかない。

監査の日から一週間後、監査の結果報告のメールが来た。緊張しながらそのメールをクリックすると、一部建物の隙間改善の条件付きで合格であった。

我々は漸くその製薬会社のサプライヤーの一社となることができた。事務所のメンバーにメールの内容を報告すると、事務所にどっと笑顔が溢れた。そして、約束通り二週間後、合格祝いパーティーを行った。

次回更新は3月21日(金)、8時の予定です。

 

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