【前回の記事を読む】日本に一時帰国中に人材紹介会社からすぐに面接を受けてほしいと連絡が! 日本語とインドネシア語と英語で社長面接

第三章 還暦前の初転職

インドネシア勤務初日

朝五時十分、真っ暗なまだ誰もいないホテルの玄関で迎えの車を待っていると、暗闇の中からヘッドライトを点灯した黒のミニバンが現れた。この車には私が着任するまで工場長の代行をしていた日本人が乗っている。

ホテルを出発したミニバンはすぐに高速道路に入り、うっすらと明るくなりつつある田園地帯を三十分ほど走ったあと、一般道に出た。道中、スラバヤ郊外の田舎の景色に見とれて、眠気も吹っ飛んでしまった。

六時二十分にパスルアン市の工業団地の一画にある工場の玄関に到着した。現在はラマダンで、工場は普段より一時間早い朝七時始業、夕方四時終業となっている。

七時から各部門のリーダーが集まる生産会議がある。工場長代行と一緒に会議室に入ると十五人ほどのインドネシア人がすでに着席している。彼らは各部門のリーダーである。あらかじめ考えてきたインドネシア語で自己紹介をしたところ、皆、一生懸命聴いてくれた。おそらく新しい工場長はどんな人物なのか興味津々なのであろう。

続いて各部門のリーダーが昨日の報告と当日の生産の問題点等を話し出したが、彼らが話している内容は半分以上聴き取れない。

このあと、工場長代行と主な取引先である日系企業に挨拶訪問したり、彼から機械の説明を受けたり、取引先の概況、引き継ぎ事項などの説明を聞いたりしたが、彼自身も前任の日本人工場長が一か月ほど前に退職したあと、私が着任するまでのリリーフであったので、この工場の設備や事情にそれほど詳しいわけではなかった。

長い初日の勤務が終わると、夜は工場長代行がセッティングしてくれた日本食レストランで同じ工業団地の日本人数名との飲み会となった。このような飲み会は頻繁にあるとのことで、早速、ゴルフの誘いがあり、二次会はカラオケに行った。

日本人と日本語で会話ができ、多少安心感はあったものの、インドネシアに来てまでこのような日本人との濃い付き合いが続くかと思うと、少しうっとうしくなってきた。