ところで、Bandura(1997)は、セルフ・エフィカシーについて、自信のようなある程度固定化している信念、自己肯定感のように必ずしも具体的行動と結びつかない感覚、またパーソナリティのように社会的な集合としての特性的な概念などとは異なっており、それはある特定の行動、特に繰り返し日常で行われる課題に対する行動がどの程度できる(またはできない)かに関する主観的判断であると言っています。

Banduraの考えがユニークなのは、これが、私たちが日常的にもよく用いる概念である自信や肯定感とは違い、社会的要因やコンテクストの違いで特異的(個人的)に変動するものだとしたところにあります3

わかり易い例をあげれば、本来、人は、行動に快感情が伴うことでその経験を成功と認識することが容易となり、さらに次の行動もできるのではないかという期待感から行動を起こし易くなるものですが、反対に、そこで得た新たな経験を失敗だと認めて不快な思いに至る行動からはそうした効力期待が得難いことから当該行動は続きません。

後者の例を個別の教師に当てはめて考えたとき、教室が変わったり、異動によって教える学校が変わったりすると社会的コンテクストの変化からその教師の効力感が変動することが考えられます。

これらはある状況や課題によって個人的に異なるものですから個人を超えて一般的な行動だとしたり、その人の性格だとしたりする枠組みでは考えにくいものです。

他方、Edstrom(2006)という研究者によると、英語教師は1回の授業の中でも学習者からのフィードバックを通じてプラスやマイナスの瞬時の感情を継続的に経験しているといい6、そうした瞬間的な感情の揺れが効力感に何らかの影響を与えている可能性もあります。

このようなセルフ・エフィカシーとその変動は、これまで子どもの発達における適応行動の動因として取り上げられることが比較的多かったのですが、いくつかの研究では動作主としての主観的認知と行動的習慣としても取り上げられ、セルフ・エフィカシーが適応的で自己調整的な教師の行動の予測にも役立つと考えられています4,5,7,8

また、Bandura(1997)は、そのような主観的認知、すなわちセルフ・エフィカシーの感知に繋がる要因として、「成功経験」(mastery experience)、「社会的説得」(social persuasion)、「観察経験」(vicarious experience)、そして「感情と生理的体感」(physiological and affected state)という、効力感の源となっている体験や体感としての4つの源泉(source)があるとしました3