―― 『変わった生き方を選んだものね』―― と茉莉の言った事がよぎった。

その時は単純に事実を指したものと思ったけれども、改めてその真意が思い起こされた。

世間から離れ、まるで隠棲するように、薔薇に明け暮れる者とは、天と地ほどもの開きがあるに違いなかった

―― マリは茉莉、私は私、そうでなくてはいけないのだ。変わったのはマリだけでなく、私も、なのだから――

追憶と共に幾度となくなされたその決意は、淡くオブラートに包まれていたものだった。

それが、今、確かな通告となって典子に響いてきた。典子は抜き出した薔薇を素早く別の花瓶に移した。茉莉がアプローチの最後の区画に入ってくる気配を背中に感じた。

―― 茉莉を迎えるのは、本当はこれからなんだわ。きちんとしなくてはいけないわ――

典子はテーブルの片側に寄っていた花瓶を前に戻し花の向きを直す。鏡に向かう顔になって笑顔を作ろうとする。唇の端を凹める。目は……? 目は惑いの色を払い切れているだろうか、急に不安になる。もう長い事、自分の顔や表情を意識して鏡に向かう事もなくなっているのに思い当たる。

典子は胸の前に手を重ねる。それから大きく息を吸う。体を向け直し、テラスから前の石敷きにそろりと典子は降りていく。

一瞬足が止まる。やや横向きの茉莉の後姿がアップされて典子の目を捉える。タイトに見えたグレーのパンツスーツは、大人の女の雰囲気を包んで、たおやかに体の線を見せていた。グレーの地には薄い青が交ざっている。

―― 私の知らない女の茉莉……――

典子は藤色の薔薇(しのぶれど)に体を寄せている茉莉にゆっくり歩み寄っていく。

「こんな時が来るなんて……奇跡のようだわ」

きちんと挨拶するつもりが、いざ向き合うとまた同じ言葉になってしまった。

典子は息を整え、顔をまっすぐに茉莉に戻した。

「多忙な中を、無理をして来てくださったのだもの……一番にお礼を言わなくてはならないのに……恥ずかしいわ」、典子は懸命な笑顔を作った。」

「年甲斐もなくおろおろするばかりで……」

茉莉は典子を見つめたまま何も言わなかった。不確かなものを見定めようとする遠慮のない鋭い眼差し、ただそこには、これまでのような冷ややかなものはなかった。

―― あの頃もマリはよくそんな目を向けてきた。何か私の中まで探ろうとするように。

負けずに見返すと決まって睨めっこになった――

 

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