【前回の記事を読む】君は恋をしたことがある?――部族一美人の親友の彼女に猛烈に恋をして二人きりになろうと…
真夜中の精霊たち
彼がハミングアローに心を奪われるようになったのはね、あの川での水浴びの一件からなんだ。なに、きっかけは別に大したことじゃなかったのさ。ほかの人が聞いたら「おいおい。君はそんなことで恋に落ちたってのかい? 冗談だろ」とかなんとか言って、鼻で笑うんじゃないかな、きっと。
でも彼にとってその瞬間は、それまでとは世界が全く変わって見えるような、目を瞠(みは)る瞬間だった。すべての時を貫く、美しい一瞬だったんだよ。
あれは確か、ハミングアローにムーンタイムが訪れる直前だったっけ。彼女はまだ世間から女性とはみなされていなかったし、彼にしたってこの時は、妹のグレープ・バグ(これは彼だけが使う妹の呼び名だ)を見るときと変わらない感覚で彼女を見ていた。
狩や戦闘のない日、彼は草原でみんなが熱狂するスポーツ、なんだったっけな。ボールに見立てた玉を投げ合って得点を競うんだけと。兎に角そんなスポーツをした。近隣の親しくしている部族と、バッファローの皮やなんかを賭けて部族対抗戦が開催されるときには、大いに健闘し、相手チームに卑猥なヤジを飛ばしたりして楽しんでいた。
けれど時々喧騒から離れて、ひとり川の畔で静かに祈りを捧げる時間が、彼にはあった。
ドゥモは畔に座るとよく考え事をした。春になると萌えたつクローバー達は、いったいどんなふうに互いを想いあっているのだろう。スイートグラスは、どんな記憶を胸にしまい、川の水は何を思って旅をするのか─物言わぬ石は、誰を見つめ日々を生きているのだろう。
そのうちに心の中から言葉が消えていき、彼はなんとなしに目をつぶる。カケスの鳴き声や、川の流れる音や風の囁きがまるで、絶え間なくキスをしているみたいに聞こえてくると、彼の頬は緩んだ。最も優しいと思えるこの時に、彼は世界にお返しのキスをする。
以前から知っていた彼女に、まるで初めて出会ったかのようにときめいたのは、川の畔でいつものように祈りを捧げていた、そんな時だった。