夏の子供と星の海
「君、自然豊かなリゾート地で仕事してみたいって言っていたじゃないか。近くに川があって、海も近い、いい物件が見つかったんだ。釣りやマリンスポーツを楽しみ、緑に癒されながら、古民家でテレワークしてみないか?」
社長のその提案を二つ返事で承諾したことを、俺は早々に後悔した。
自然豊かといえば聞こえはいいが、ここは人口が千人に満たない山村。社長が用意した家は、築五十年は経過していると思われる廃屋。中庭には草が生い茂り、畳はささくれ立ち、砂壁は剥がれ落ちて、取り替えられることなくそのまま時代を引きずってきたようなカーテンや壁紙は色褪せてシミができ、不気味な雰囲気を漂わせている。
「その辺り、河童が出るらしいんだ。休暇の時に会いに行くから、それまでに河童と仲良くなっておいてくれ。楽しみだなあ。もしかしたら、河童以外も出るかもしれないな」
俺を送り出す時、オカルト好きの社長はそう言った。俺は、その言葉を思い出し、この提案の真意を察するとともに、この世ならぬものとの遭遇に恐怖した。川の河童か、廃屋の幽霊か、どちらか選ぶとしたら河童の方がマシだ。俺は、近くにある川へ向かった。
透明度の高い美しい川だ。場所によって深い緑にも見える。川の水が緑に見えるのは、光が分子や粒子に衝突して反射される光の散乱が理由だとかいう話を、なぜか釣りをしているおっさんの頭皮を見ていたら思い出した。
キュウリを餌にザルとつっかい棒で罠を作る。そして、少し離れた所で河童が罠にかかるのを待つ。捕まえないことには、河童と話もできない。話ができないことには、仲良くもなれないだろう。故に河童を罠にかけるのだ。仮に俺の思いが伝わらず、悪意故の罠だったと誤解されても、誠心誠意謝れば分かり合えるはずだ。
いつかそんなこともあったと肩を組める日も来るだろう。手つかずの自然にマイナスイオンを感じながら、しばし川を眺める。川の水に手を差し入れて、ひんやりとした心地良さを味わう。まだ見ぬ河童に思いを馳せつつ、ふと目を落とすと、川砂の中でキラリと光るものがあり、それに目を奪われた。
砂金だ。
その瞬間、俺の頭の中から河童は姿を消した。俺は首の後ろが痛くなるほど日焼けをするまで、時間を忘れて砂金を集めた。しかし、しばらく経つと、川の水から掬い上げられた砂金はきらめきを失い、ただの砂利のようになってしまった。不自然に積まれた砂金が俺を笑っているようで、何とも言えない虚しさを感じていた時、罠が作動する音がした。
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