結迦以外年配の方がほとんどで、皆さん健脚ぞろいのようにお見受けできたものである。ちんたらと歩くのは、体力に自信が持てない結迦くらいなものだった。

ダイバーといえど、地上ではスポーツコンプレックスマックスの自負を有していたのだ。ひょんなことから、海への愛が芽生えてしまった結迦だが、人生とはまこと、奇なり。そのことは、結迦自身がいちばん実感しているに違いない。

山を下り、再びバスに乗り込むと、その日の宿泊先であるホテルへとバスは向かった。チェックインの後、小休憩を挟んで、翌日の予定に沿った事前学習のような講義を聞くこととなった。会議室のような広間で資料が配られ、小谷城跡について、当時の戦国史に関する話を興味深く聞いていた。

中学生の頃、日本史の先生のことを好きだった記憶が残るものの、肝心の歴史はさっぱりといっていいほど覚えていない結迦には、研究家の方の詳しい話はかなり新鮮なものに聞こえていたようである。

長浜市の五百m弱の小谷山にある小谷城は、浅井家が三代にわたって居城していたといわれている。北近江の戦国武将、浅井長政に嫁いだお市の方は、戦国一の美女といわれた信長公の妹。そして、生まれた三人の娘(茶々、初、江)ゆかりの城でもあった。

領土拡大のために戦を続け、身内を亡きものとし、血腥(ちなまぐさ)い史実を繰り返してきたことは、真実だったのだろうか。戦国時代は、本当に存在していたのだろうか。