私自身が実際そうであったからだ。自分が例外だと思ったことはただの一度もない。他の子供や大人がこんな簡単な心理を見抜けないのか?
このことのほうが私には不可解であった。いわゆる体験不足による無知ならさておき、自分が子供であった頃、今現在子供である当人がそれを分からないとすれば、人間が作り上げたあらゆる幻想、空想、偏見にただ呪縛されているだけである。
聡(さと)い子であればそんなことは知っている。大人は相手が子供というだけで何も分からないと高を括っている。私のような子供が例外だとすれば、実に悲惨な状態であると言わざるを得ない。
当時の私にとって、周囲の愚鈍な人間を欺くのはたやすいことであった。
私は村で死体や人間の骨を多く見た。私の村は土葬であった。村では、多くの畑に点在する墓を掘り起こして、新築した納骨堂に納めるための作業がなされていた。私はその作業を非常に興味深く見学していた。
白骨化したものが多かったが、まだ髪や肉が残っていて人間の形をしたものもたくさんあった。
大きな土壷に蹲(うずくま)って、底には死体から出た水がたまっている。白骨化していない遺体は皆ドラム缶の中で焼く。腐敗した遺体を焼くときは異様な臭いがした。
髑髏(どくろ)は壊れた機械の部品のように山積みにされ、墓掘人達はそれを前にしながら昼飯を食う。かつて人間と呼ばれた者達の塊が積まれて山になっている。転がれば放り投げて上にのせる。ただの廃棄品と同じ物である。墓掘光景を見るのを村の子供は気持ち悪がった。
私は掘り起こされる前の墓場に生えている土筆(つくし)をよく取りに行った。栄養が豊富なせいか、川の土手に生えている土筆と比べて二倍くらいの大きさがあった。作業員は、ただ機械的にひたすら掘り起こす作業に専念している。
彼らも最初のうちは、物が物だけに少しは殊勝な気持ちはあったかも知れないが、数十ヶ所の墓となればいやでも慣れ、ただの物でしかなくなったのであろう。だから、転がると放り投げて積み上げるのである。
私は生物の防衛本能が様々な形で変形されていることに関心があった。だから私を一番可愛がってくれた義祖母の死も悲しいとは思わなかった。
私の村は浄土真宗が多かった。通夜の夜は村人が私の家に集まって輪のようになり、大きな数珠を皆で回して祈るのである。その時、坊主がシンバルのようなものを叩いた。皆の深刻な顏や泣いているその光景の中でシンバルの音が不協和音として響き、私は無性におかしくなり大声で笑った。
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