まえがき
古今を問わず真の自己認識とは厳しいことであるが、我々の誰もが各自の方法で探求を成していく。
真摯に自己探求を突き詰めていくと精神世界へと至る。私は二十六歳の時に強烈な神秘体験をした。霊界に自然参入したのである。この時は名状し難い叡智(えいち)の光が私の過去の魂を全て焼き尽くした。
四年後、それはルドルフ・シュタイナーの著作を通して霊的認識による純粋思考体験であると分かった。
私はそれまで人間の用いる言葉は一切信用してはいなかった。だが、内的体験以降は言葉が心身のバランス保持に不可欠となった。
私は哲学や心理学、文学等を読み漁り、似たような体験者を探した。日本では名状し難い懊悩を魂の奥深くに蔵した小林秀雄が最も近しい存在であった。しかし、私の裡には何かがまだ欠けていると常に感じていた。
それ以降、私が読み漁(あさ)った書物のあらゆる存在達が、私に憑依するかのように語り始めた。死者との対話交流が嵐のごとく魂に群がり、日々やむことはなかった。それも昼夜問わず、生者、死者達の想念、情念等の流れを強烈に受け始めた。
日々の日常生活は、極限的緊張状態と不眠状態の中で異様な集中力と意志力をもって心身のバランスを維持することが精一杯であった。
三十歳の時にルドルフ・シュタイナーと出会った。当時はシュタイナーの著作は建築の本を含めて三冊くらいしか出版されていなかった。私が読み始めると同時に次々と翻訳本が出始めた。私が霊的に体験したことはシュタイナーの著作を読むと数ページで論理的に全て書かれていた。
しかし、私は身をもって経験しないと信用しない。
シュタイナー著作の『いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか』(高橋巖訳、イザラ書房、1979)の瞑想行を一ヶ月くらい実践した時に意識的に霊界に参入した。
轟音とともに異様な速さで光のトンネルを通過して霊界参入し、眩(まばゆ)い光の空間の中で霊光に徹底的に焼き尽くされたのである。