私は霊界参入を通して様々な試練を味わった。試練後に今日の時代における自分の立ち位置、行動の基盤を決定した。

私は人類の未来のために「創造的人間関係」の土台を作るべく活動を開始した。対人間に処する方法は「魂の遠近法」であった。これはソクラテスの対話法の現代版である。あらゆる分野、教義問わず等々、神秘学的概念を用いずにどこまで対話でき得るか、である。

未だこの活動は今日では未知なる道である。世界中に唯物論が蔓延している今日の時代に、私の理想とする実現までには目が眩むほどの遠い道のりである。

これは私自身の魂が高次の自我へと変容して、今日の時代にふさわしい方法で活動してきたプロセスの記録であり、私と似たような体験と同じ理想を抱き歩む魂の里程標の一助になればと思い、本書を出版することにした。

「諸君に対し、また他の民衆に対し敢然抗争して、国家に行われる多くの不正と不法とを阻止せんとする者は、何人といえどもその生命を全くすることが出来ないであろう、むしろ、本当に正義のために戦わんと欲する者は、もし彼がたとえしばらくの間でも生きていようと思うならば、かならず私人として生活すべきであって、公人として活動すべきではないのである」『ソクラテスの弁明 クリトン』(プラトン著、久保勉訳、岩波文庫、1927)

一、

私は昭和二十五年一月十七日に津留崎重幸と静香の次男として生まれた。

生家は九州の福岡県三潴(みずま)郡筑邦町大善寺(ちくほうまちだいぜんじ)の中津字荊津 (あざおどろつ)という村であった。

父は婿養子であり、母は養女である。

私がそれを知ったのは両親の離婚の少し前であった。

義祖母のヤクは私が生まれた村で一人暮しであった。そこに母である静香が十五歳で養女となり、十六歳の時に父と見合い結婚した。その時、父は二十歳であった。

父が二十二歳の時に兄の謙治が生まれ、その二年後に私が生まれ、弟の渡が二年半後に生まれた。

 

【イチオシ記事】「気がつくべきだった」アプリで知り合った男を信じた結果…

【注目記事】四十歳を過ぎてもマイホームも持たない団地妻になっているとは思わなかった…想像していたのは左ハンドルの高級車に乗って名門小学校に子供を送り迎えしている自分だった