【前回の記事を読む】先代社長が遺した書棚には、日本人の祖先に関わる歴史の文献がたくさんあった……何故彼は死ななければならなかったのか?
第一章
「遅いな」
光一は、ふと我に返って思わずひとり呟いた。若社長がいっていたアキ子さんというお手伝いさんの帰りが遅いことに気がついた。
その人が帰ってくるまでは、帰るわけにはいかない。待ち人の存在が意識に浮かび上がってきた瞬間、時間の流れが少しだけ早まったような気がした。
しかし……。このあと予定があるわけではないし。
光一は、待たされているという感覚を転換させ、この書斎にある蔵書をくまなくチェックするチャンスだと受け止めた。
きちんと整理された書棚を見ていると、この書斎の主の几帳面さがうかがえた。ジャンル別に整理されている。
最初に目にとまった日本古代史の棚、その隣には世界の先史文明関連、スピリチュアル関連、チャネリングもの、アセンション論、錬金術、陰謀論、宇宙論、量子論、プラズマ宇宙論、古神道関連……。
れっきとした学術書からやや怪しげな文献、さらにかなり怪しげな文献にいたるまで。上には上がいるものだ、と光一は思った。
光一がいままでに読破した量に比べるとゆうに数倍以上はあるだろうか。読みたかったけれどどうしても見つけられなかった書籍、見つけたけれども高価すぎて入手できなかった古書がごく平然と並べられていることに驚きを隠せなかった。
ふと大きなデスクの片隅に目をやると、仕事の書類らしきものと一緒に数冊の本が積み上げられていた。最近の興味の対象はこれか。光一はそうつぶやいて、いちばん上の本を手にとってタイトルを見た。
『アイヌ叙事詩』。日本列島に古くから住むアイヌ民族の間で口承で伝承されてきた叙事詩だ。確かポイヤウンペという青年が活躍する奇想天外な戦記物だ。