エドゥゲーフは、あきれたように、うつむき加減で顔を左右に振った。アイザックは、黙って少年を見ていた。御者は立ち上がって、またお辞儀をし、笑顔のまま、馬車の上に上がろうとした。その肩に、雪舟が、手を当てた。

「ちょっと待って下さい」

雪舟は、また少年に顔を向けた。

「坊主、この人に謝れ」

「何!?」

「謝れと言ったんだ」

「ふざけんじゃねえ! 何で俺が中国人に謝らなきゃなんねえんだ。だいたい、てめえは何なんだ! 他人の問題に首を突っ込みやがって!」

雪舟は、少年の顔から目をそらさなかった。

「お前が謝るまで、俺は、ここを動かんぞ」

少年の顔が険しくなった。

「上等じゃねえか? ハルビン中学で一番ケンカの強いこの俺を怒らせるなんて、お前もいい度胸してるな!」

そして、雪舟のほうへ、二、三歩踏みこんだ。雪舟は、失笑して、エドゥゲーフたちの顔を見た。エドゥゲーフもたまらず失笑していた。

「中学一って……」

そして、雪舟の顔から笑みが消え、少年の目を射抜くような眼差しで見据えた。

「おい、坊主、どうするんだ!」

「ふかしてんじゃねえぞ!! コラ!!」

少年は右手拳を振り上げて、雪舟に殴りかかった。

拳が雪舟の顔に迫る。雪舟は、左手で少年の右腕を払いのけた後、そのまま、その手を、その右腕に巻き付け、右手で、少年のその右腕の付け根をつかんで、少年の体を自分の背後にぶん投げた。

少年の体は、雪舟の肩のあたりを軸に大きく回転し、コンパスのようにつま先で空中に大きな半円を描いた後、五メートルほど吹っ飛び、背中から地面に叩きつけられた。体が石畳の路上にぶつかる乾いた音が辺り一面に響き渡った。一瞬の出来事だった。少年は、あまりの痛さに絶叫した。

雪舟は背を向けたままだった。そして、少年の顔も見ずに、凄まじい怒鳴り声を上げた。

「ド素人のくせに粋がってんじゃねえ!!」

エドゥゲーフは、雪舟の横を通って、少年のところまで歩いて行った。少年は、仰向けになったまま起き上がれなかった。

エドゥゲーフは、しゃがみ込んだ。

「やれやれ、学校の喧嘩に強いくらいで雪舟に殴りかかるなんて、お前も本当に命知らずだな」

少年は、やっとのことで上半身を起こし、その場に座り込んだ。そして、片手で背中をさすった。痛そうな表情だった。

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