出会い(一三七四年)

義満はその後何度か世阿弥を呼ぼうとしたが、奈良の東大寺の経弁という僧の稚児として勤めながら勉強をしている上に能の練習や公演にも忙しく、そうそう京都迄はやって来られない。その内、義満に世阿弥との会話を聞かされた二条良基が好奇心を抑えられなくなり、自邸に呼ぶ画策を始めた。

─経弁なら知らぬ仲ではない。藤の見頃に興福寺との争議や人事に託(かこつ)けて呼び出して、世阿弥を連れて来させよう─

思い付くと早速経弁に連絡を取り、首尾良く世阿弥を呼び出す事に成功したものの、今度は何を贈り物にしたら良いだろうかと悩み始めた。着物、陶磁器、書画骨董、文具、茶、菓子、珍味、どんな物であれ京都の最高級品を知り尽くしている二条良基も、十二歳の能役者が何を喜ぶかなど、見当も付かない。

何日か悩んだ末、名前を与えるという妙案を思い付いた。何しろその頃の世阿弥の芸名は鬼夜叉、貴族にとっては口にするのも憚られる響きだったからである。

─世阿弥は源氏物語でいえば若紫。十一か十二歳の頃に、大勢の子供達の中から光源氏に選ばれた所がぴったりではないか。紫を我が藤原家の藤と変えて、若藤、いや、ひっくり返して藤若はどうか。おお、我ながら美しい名前を思い付いたものだ。早速和歌にして扇子に書いておこう─

或る晴れた春の一日、経弁が世阿弥を連れて二条良基邸にやって来た。庭には満開の藤の香りが漂っている。質実な将軍邸に比べて、流石に優美で贅沢な邸宅である。上流人士の中に入るのには大分慣れたとはいえ、最上級の貴族である二条良基の舘を訪れるのは、世阿弥にとっても特別な経験であった。

二条良基は経弁を迎えると仕事の話を手短に済ませ、早速側の世阿弥に話し掛けた。怖がらせない様に出来る限りの笑顔を湛えたつもりだったが、却って皺が寄り過ぎて、五十五歳という年齢より老けて見えたかもしれない。