「こちらがあの、ご聡明な将軍殿の御目に適った世阿弥殿かな。歌や踊りは言うに及ばず、蹴鞠や和歌もなかなかの腕前とか。この様な老人でも和歌の話ならご相手出来ましょう。お好きな和歌は何ですか」

「藤原定歌卿のこの和歌が大好きです。『駒とめてー 袖打ち払ふ 陰もなしー 佐野のわたりのー 雪の夕暮れー』」

澄んだ声で朗々と和歌を詠じて見せた世阿弥に、二条良基も経弁も圧倒された。

しかも和歌の選択は貴族好み、完璧である。

「でも、どうしてこの和歌がこんなにも美しく感じられるのでしょう。単純で意味が無い様に思えるのですが、何か隠された意味、秘伝でもあるのでしょうか」

世阿弥の鋭い質問に二条良基は内心たじたじだったが、如何にもこの道の最高権威らしくもっともらしく答えた。

「歌は面風の如し、と言いましてね、言葉以上の意味は無いのですよ。この和歌にも何の秘伝もありません。仮令(たとえ)意味が無くても美しいものは美しいのです。貴方がこの和歌を美しいとお思いになったのは特別に才能がおありになるからでしょう」

「分かりました。有難う御座います」

世阿弥は、この和歌に何の秘伝も無いと聞いて、長年の謎が解けた気がした。しかし、特別の才能があると言われたのが気に懸かった。父観阿弥はいつも、こう言っていたからだ。

「本当の美は、万人に分かるものだ」

暫く会話を交わして一緒に和歌や連歌を詠んだ後、世阿弥は庭の藤棚の下で舞と歌を披露した。二条良基はその美しさにすっかり心を奪われてしまった。