第一部 社会に飛び出せ ―数奇な私の人生―

ここ数日急激に寒くなり、服装も長袖に替える季節が到来しました。脳梗塞を発症した2009年の冬以来15回目の長袖の季節を、麻痺で未だに動かしにくい左肘を長袖に通すことに苦労しながら、いつになったらこの腕が自由に動くようになってこんな非効率な苦労が報われる日が来るのだろうかとため息をつく私です。

ほとんどの当事者は衣服の着脱が大変ということしか言わないけれど、大変さというものは、その先の「どういうところが」「どんな時に」「どんなふうに」大変か、そのために「どんな気持ちになるか」を具体的に言わなければ、周囲の人に現実を理解してもらえないかが、長期間を経てだんだん私にもわかりかけています。

しかも、この私は、発症前、麻痺した左手で球技を始め日常生活のほとんどすべての動作を行っていた完璧な「左利き」です。

左手が麻痺していることで服が引っ張られ、攣ったりせずに左右均等に着られないことも、左肘が体から飛び出て周囲の物や人に触れ、落としたり倒したり当てたりすることも、「たすき掛け」したバッグの肩紐が襟付きのコートの襟を裏返してしまって身なりがだらしなく見えてしまうことも、更衣・トイレ時に反対側の左腰まで腕を伸ばして下衣を引き上げにくいことも、すべて左利き左麻痺者の泣き所と感じています。

発症時には気づきませんでしたが、こんな些細な「左利き」という要因が私の発話面の回復を阻害する極めて重要なポイントだったのです。この「利き手と発話障害の謎」に関する話は後ほどまとめて詳しく述べようと思います。