「えっ、冗談? からかわないでよ」

「冗談ならいいけどな」

「どうして? 何があったの?」

「若い小柄な牝馬を入れたんだよ。アニーは大人しそうだったので有紀ちゃんが可愛がってね、よく小馬場で訓練してた。俺も安心して見ていたから、そろそろいいかなと思って本馬場に入れたんだよ。ところが……」

「ところが、何?」

「ハッピーが……アニーが走り始めたとたん、すぐ前を走っていたハッピーが突然立ち止まった。驚いたアニーはいきなり棹立(さおだ)ちになり、不意をつかれた有紀ちゃんは放り出されて動かなかった。すぐ救急車で入院したが、致命的な脊椎の損傷を負っていた。あらゆる手当を尽くしたが、その晩……息をひきとったんだ」

「嘘、嘘、嘘でしょう? ねえ、健太さん、嘘だと言ってよ! そんなこと……」

「本当なんだ。誰も信じたくはないがね。実はきみに伝えたいことがあるんだ。有紀ちゃんは最後にこう言ったんだよ。『聖也くん、もう一度一緒に大会に出ようって指切りげんまんしたよね。いつか必ず出ようね……待ってて』って。辛いと思うが伝えておくよ」

僕はあまりのことに頭の芯が痺れて冷たくなり、胸の中が一気に空っぽになった。

有紀ちゃんはいつも待っていてくれるものと思い込んでいた。いなくなるなんて考えた事もなかった。

あんなに綺麗でみんなが見とれるほどの女の子を、乗馬も料理も上手で、いつも自分のことより人のことを気に掛けていた優しい有紀ちゃんを、たとえ一時でも忘れるなんて、僕は自分が許せなくて、殴って殴ってぶちのめしてやりたい気分だった。

茫然としている僕の頬に、心配そうなアートの暖かい息がかかった。

オーナーが用意してくれたクリスマスケーキには大きな苺がのっていたが、喉を通らなかった。泣きたいのに顔が凍り付いて涙も出なかった。

この日から僕はどんな可愛い子を見ても心が動くことはなかった。有紀ちゃんのような子は二度と現れない、悲しいけれどそれはあらがいようのない現実だった。