「社会」で生きていくための武器を持たせるつもりだった。父は、「社会」側の人間であり、母は、父からの評価にもやはり怯えていた。

「家庭」って何だろう。成人になるまでのサポートセンター? 父親が毎日朝早くから夜遅くまで働き詰めでやっと手にした数十万円が運営費に充てられる。二年前に妹ができた。予算オーバー。この手取りじゃ早々に破綻するのは目に見えていた。

彼は何のために大学で経営学を修めたんだ?と皮肉っても、自分自身が、家庭経営者である家族(両親)の経済的負担になっている事実が窮屈だった。次第に学校に行くのがつらくなり、どこかへ逃げようと画策した。

太陽に向かって伸びる植物のような高層ビルが立ち並び、お洒落と便利さが全て揃うという幻想。愛知県の田舎から、メディアを通じてずっと東京に憧れていた。将来の方向はまだ決まっていなかったが、東京に出れば何かが変わる。まだ自分は幼虫であり、これから蛹(さなぎ)になって蝶になるまでなんとでも身の振り方を考えられる。

実際はどうだ。地元と比較にならない速度で時間は過ぎる。ここに来てから何年も経った気がする。東京には何かがある、東京にさえ行けば、きっと、きっと―それは過度な期待であり、迎え入れてくれるスペースはなかった。精神的なスペース、心のゆとりがない。心と体が逆転している人ばかりだった。

トー横に流れ着いても、むしろゆとりのなさは際立った。発光するネオンや街灯が明るく照らせば照らすほど、影に飲まれていくようだった。ペットボトルから漏れた液体が灰色のタイルを黒く染め、コンビニのペラペラな袋がカップ麺の残り汁をびったり吸っていた。

十代の子たちと話していると、みな、生を受けた意味なんて考えていないとわかる。

風俗、パパ活、たちんぼ。生きる術であるそれ以外に、金を稼ぐには、どこかに勤めるか、自分で起業するかしかない。生まれてきたが最後、死ぬまで生きる。という当たり前なことを意識している人は、日本に一体何人いるだろう? 美結はなぜか、俯瞰して観察することができた。