バースデーソングは歌えない。
3 抱擁 〜喜美子〜
芋臭さを拭って再度変身すると、同性社員からは憧憬の目を向けられ、周囲の男性社員の視線からは、はっきりと「女の若さ」を求められた。と肌でわかっても、生まれ変われるのであればそれで構わなかった。
ハラスメント防止の社内教育がある程度は抑止力として機能していたのかもしれないが、ある特定の人間と一定の時間行動を共にすると、相手は決まって「付き合ってる人いるんですかあ」と訊いてくる。そこで喜美子は毎回、思わせぶりな態度を取っては自らを守った。
仕事は忙しさを増し、周囲の同期たちも、プライベートを社内でひけらかす余裕を失っていった。数年経つと地方へ転勤となる者も出てきたが、喜美子は今日まで本社のお抱えだった。
部署の空気は、ルッキズムに満ちていた。むろん、喜美子自身の努力・実力は否定されるべきものではないが、なお「美」への自己変革が、評価に結びついていた。
三十代に入ると、大人の色気を欲しがられ、《キャリアウーマン:画像検索》で並ぶ強く逞しい女性像へと脱皮する必要に迫られた。そこには「性に対する寛容さ」も含まれており、喜美子は、“女らしい”ボディラインを閃(ひらめ)かせつつも、恋愛には困らぬ成熟した人格を振り回して相手を敢えて焦(じ)らした。
私の“少女性”はどこへ行ってしまったのだ。
家に帰ると「おかえり」の一言がある。帰る場所がある。待ってくれる人がいる。
美結の透き通った声は「私がいなければだめだ」と、喜美子の庇護欲をくすぐった。彼女の敵はたくさんいる。私が守ってあげなければ。経済面で生活を保障するのは今でも十分可能だったが、悪質な関係性に対しては、実力行使で断ち切る必要も生じるかもしれない。
幼心を忘れた「大人たち」は皆、〈少女〉の敵である。清純な者を穢(けが)し、湿っぽい世界へと引き込もうとする。同調圧力に少女は負けて、軽い気持ちであちら側への敷居を跨いでしまうのだ。あのトー横は、「大人」と〈少女〉との境界線だった。
エゴに基づいた感情であるとは自分自身でも理解していたが、それを差し置いて男と大人の世界を嫌っていた。
しばらくすると喜美子は、自分がぐすぐす泣いているのを、安心して放っておくことができた。美結は、喜美子の小刻みに震える肩に軽く頬を当て、痙攣の間隔が少しずつ穏やかになっていく様を見ていた。