ナオミを入れた五人はすぐに仲良しになり、盆踊りに花火大会、近くの市民プールにも一緒に出かけて楽しんだが、一番面白かったのはセーラームーンごっこだった。じゃんけんで役割を決めて、みんなで名場面を再現する。
ナオミとわかばは、うさぎの決めゼリフ「月に代わってお仕置きよ」を言いたがり、駿介と雄哉と昇悟は、タキシード仮面のキザだけどどこか笑えるセリフをまねては吹き出していた。
お盆の間に続く伝統行事は、どれもが興味津々だった。お盆という日本語は知っていたし、カリフォルニアでも毎年八月十五日には、壁にかけてある曾祖父母の写真にお供えをしていた。ライスクッカーで炊いたご飯に味噌汁を添えて、写真の下のチェストに置き、小さなキャンドルを灯して手を合わせてから日本風のお辞儀をする。
だが、國雄じいちゃんの家でのお盆の御霊(みたま)祭りは、やることがもっとたくさんあった。
まず、七日に山の墓地に通じる小径を、村中が共同で盆草刈(ぼんくさが)りをする。盆路(ぼんみち)を造る道普請(みちぶしん)だ。十一日は盆花採(ぼんばなと)り。盆路に咲く季節の花を手折り、盆棚(ぼんだな)の飾りにする。翌日は煤掃(すすは)きと精進料理の下ごしらえ。
十三日は洸平と遼平一家がやってきて、皆で魂(たま)迎えだ。お墓の前で麻殻を燃やして迎え火を焚き、提灯に入れて持ち帰る。そして精霊棚(しょうりょうだな)に精進料理を供えて、同じものをご先祖様とともにいただく。赤飯、ほうれん草のごま和え、カボチャの煮付け、干しタケノコのきんぴら、だご汁、からし蓮根、がんもどき。
初めてのものが多かったが、どれもおいしくて、不思議な懐かしさを感じた。きゅうりも茄子もスイカも、アメリカのものに比べると小さいが、味が細やかで濃いような気がした。
十四日からは、手巻き寿司、すき焼き、焼き肉、馬刺し、けんちん汁、天ぷら、五目豆、つぼん汁、おはぎなど、肉や魚も出て大人数の食事は楽しかった。十五日には、田んぼから十二本の稲穂を刈ってきて作神(さくがみ)様に捧げる。十六日の魂(たま)送りには、夕方墓前で送り火を焚いて、ご先祖様の霊魂の道しるべにする。
ナオミはすべての行事や作業に加わり、駿介、雄哉、昇悟、わかばも日程の許す限り手伝った。
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