最後の数日
夏のある日、その時は突然訪れた。
いつもと何も変わらない夜。
川の字で布団に入り、いつもと変わらない「おやすみなさい」という言葉を交わした。
その翌朝、布団の上で横になったまま大量の汗をかき、会話のやりとりがスムーズにいかない一樹の姿があった。
一樹はくも膜下出血を起こし、救急車で運ばれた。
救急車の中、一樹は生年月日など救急隊員の質問に、「どうしたの!?」とだけを繰り返し、何ひとつ答えることができなかった。
医師に「5段階で、5が重度だとすると、上島さんの場合、今は2の段階で、現在は意識障害と盲目の症状があります。手術が成功したとして、盲目の症状が改善するかは今はまだなんとも言えませんが、少なからず後遺症が残る可能性はあります」と言われたが、きっと助かると思った。
もちろん大丈夫と保証されたものではないけれど、その時の医師の言葉を信じるしかなかった。
一樹の場合、くも膜下出血でも箇所としては〈椎骨(ついこつ)脳底動脈解離〉という、後頭部の首に近い付け根の、ひとつしかない太い血管で出血が起きた。
手術室まで付き添ったのだが、意識障害のせいか、分かりやすく状況を説明しても「どうしたの!?」と最後まで混乱した状態で、状況を理解できているのかは私にもよく分からないまま一樹は手術室へ。
数時間の手術が無事に終わり、再出血のリスクを少しでも下げるため、一樹は動かぬよう麻酔で2日間ほど眠ってもらうこととなった。
麻酔で眠っている一樹の元へ行く道中は、手術が無事に終わったことへの安堵感と不安で言葉にするのは難しいが、ただ一樹の手を握りしめたとき〈生きている〉その事実と温もりを噛みしめ涙が溢れた。
そして「また来るからね。頑張って……」と声をかけ帰宅した。
【前回記事を読む】母との絶縁、パニック障害、アルコール依存…そんな中で、息子は4歳になっていた。いっそ、私を責めたて罵倒してくれたらと…
次回更新は1月23日(木)、21時の予定です。
【イチオシ記事】「歩けるようになるのは難しいでしょうねえ」信号無視で病院に運ばれてきた馬鹿共は、地元の底辺高校時代の同級生だった。