転職は当たり前
欧米と日本では、雇用にかかわるプラクティスだけでなく、雇用環境の違いがあります。日本とは異なり、欧米では雇用の流動性が高く、新たな職を見つける仕組みやサービスができあがっている社会だからこそ、会社も社員も職を変えることに比較的鷹揚になれるのです。
外資系企業の外国人マネジメントはこういった環境で育った人たちです。ですから、自分の意に沿わぬ仕事であれば転職することに躊躇しません。逆に意に沿わぬ仕事をなぜし続けるのか、彼らは理解に苦しむでしょう。
意に沿わぬ仕事だけでなく、給与が自分の仕事や会社に対する貢献に見合っていないと考える場合も転職の契機になります。
転職に際しては、他の会社でどのような職務に関する人材を募集しているのか、ジョブ・ディスクリプション(Job Description、職務記述書)を見て、内容を詳しく知ったうえで面接などに臨むことになります。つまり面接や入社の時点で自分の職務が明確になっています。
ところで、筆者が外資系企業に入ったのは40年以上前ですが、そのころのアメリカのビジネスマンの一般的な考え方は、転職は当たり前、一つの会社に何十年も勤めることは考えたこともない、というものでした。
出張でニューヨークに行き、向こうのビジネスマンの何人かがそう言うのを聞いたとき、なぜそのように考えるのか全く理解できなかったことを今でもはっきりと覚えています。
最近は日本でも転職にかかわる支援やサービスが整ってきましたが、まだまだ終身雇用の意識が日本の会社の経営者にも、社員にもまた社会的にも残っています。
「新卒で入社し定年まで大過なく勤めあげる」という表現がみごとに示すように、国民の大多数は一社に長く勤めることがいいことだと思っています。まさに就「職」ではなく就「社」です。
反対に数年で、短い人であれば三年くらいで次々と職を変えることを「渡り歩く」と呼び、どちらかと言うと好ましくない、いく分蔑んだ表現です。
しかし外資系では、マネジメントや中間管理職クラスの人たちのなかにも、渡り歩いているような人をときおり見ます。日本の会社ではあり得ないことです。
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