「ぼくは高槻から通てんねんけど、夏生君は下宿やろぉ。自分の下宿はどこにあんのん」

「大将軍ですけど」

枝豆のさやを唇に当てながら「私と一緒じゃん。近所かな」とサオリは声には出さず夏生の方を向いた。しかし、酔った今出川の引力は強く、夏生を離さない。話は下宿から今昔物語にシフトしていた。

「大将軍まで、今夜どうやって帰るん? 平安時代の京やったら牛車やねんけど、ああ、夏生君、頼光の郎等(ろうどう)たちが紫野(むらさきの)に牛車で物見に行った時の話、知ってるか」

サオリはこの話をサークルのコンパの度に今出川から聞かされていた。京の路は牛車がかなり揺れたそうだ。初めて牛車に乗った郎等たちは、揺れる牛車の中で頭を打ったり仰向けに倒れたりして、みんな牛車酔いの苦痛を味わうという。そして、サオリは牛車の話をする時今出川はそろそろ帰りたくなっていることも知っていた。

牛車の話が終わると、案の定、今出川は一次会終了の声を上げた。二次会以降はそれぞれでというのが夏雲のコンパの不文律らしい。サークル員たちはさっさと腰を上げて次の店に向かう者、電車の駅に急ぐ者、満腹の腹を天井に向けている者、様々だった。

夏生は、今出川から「今夜どうやって帰るのだ」と聞かれたが、答えを用意していなかった。午後九時を回った今では市バスはあるのか、もしタクシーに乗ると料金はいくらかかるのか、何も分からない。

河原町四条と大将軍とでは、京の碁盤の目でみれば南東の隅から北西の隅までの対角の関係に位置している。もし歩くなら二時間、いや三時間はかかるか。どうやって帰るにしても牛車はない。会場を出るサークル員たちの声は次第に消え、座机の上にはビールが残ったコップや、枝豆のさやが山盛りになった取り皿や、ビール瓶などが疲れていた。

バスがなかったら歩いてみようと気持ちが落ち着いた時、サオリに誘われた。