「東国から、北の遠い国に行く」
北。あの北に見える山も越えていくのだろうか。
「短い旅だ。すぐ帰る。おまえはここで鍛練を続けなさい」
それで昨日から、姿を消した。都に行っていたのだろう。蝶英は頸を振る。
「いやです」
老剣は驚いて蝶英の顔を見た。
「いやです。私も行く。先生と一緒に行きたい」初めて、師の言葉に逆らった。
「私は先生の弟子です。今は、一人しかいない弟子です。先生と一緒に行きたい。何処へでも」
初めての、心の中の叫び。
老剣は黙った。黙々と食事を続けた。十年前、都の街角の焼け跡で、一人でさまよっていた孤児がいた。その蝶英を拾ってきた日のことを思い出していた。
大きくなったものだ。そして、女子(おなご)といえども、よく鍛練に堪えている。十六だ。
男子なら、もう立派な成人だ。
碗を置いた。
「わかった」
えっ、と蝶英も老剣を見る。
「一緒に行こう」老剣は頷いた。
「北の蝦夷だ」
「えみし」
蝶英が繰り返した。初めて聞く土地の名だ。
「あの山の向こう」
蝶英が尋ねると、老剣が笑う。