第1章 自然・地理
氷河とオーロラが世界で一番容易に見られる国
実際に大噴火を経験した人物に噴火時の様子を聞いたところ「当時は8歳で最初は何が起きているのかよく判らなかったが、家族や近所の人達の指示に従い、比較的落ちついて(本島に)避難出来た。噴火が始まったのは夜中の1 時頃で、漁船に乗り避難したのは3時頃だった」と。
実はこの奇跡の脱出劇が成功した背景には、噴火の数日前に暴風雨が吹き荒れ、島の漁船の殆どが港で足止めされており、それが島民の漁船による迅速な避難につながるという幸運に恵まれた経緯があったそうだ。
その後、島を挙げて復旧活動に取り組み、以前と変わらない美しい町へと復興をとげ、今では風光明媚な観光地として人気を博している(写真7)。
特に、島の西部の絶壁には800万羽とも言われるパフィンやウミガラスをはじめとする無数の海鳥の棲息地があり、バードウォッチングのメッカともなっているが、NHKの「ダーウィンが来た!」取材陣も、パフィンの生態を撮影する為、2007年7月にこの島に1ヶ月滞在したそうだ。
ヘイマエイ島のもう一つの顔が、アイスランド最大の漁獲量を誇る天然港を擁する島であること。島には1946年に漁師達が協力して設立した漁業会社から発展した大手水産会社VSV社が居を構える。
この島ではVSV社を中心にアイスランド全体の水産物輸出の10数%を水揚げし、VSV社が水揚げする魚の10%前後が日本向けに輸出されている。
日本向けは、シシャモ、サバ、ニシン、ニシンの卵(数の子)等で、日本の大手水産会社とも長年にわたり緊密な関係を築いている。
また、この島には幾つか興味深い史実もあるが、その一つが、今から400年近く前に発生した海外からの襲撃・誘拐事件だ。
1627年、オスマン帝国傘下の海賊船3隻が同島を襲撃、237人もの島民がアフリカ北部のアルジェリアまで連れ去られ、そこで奴隷として売られたというもの。
9年後に身代金の一部を支払い34 人が島に戻ることが出来たが、その他大部分の島民は生涯帰国することはなかったという悲しい歴史だ。
この事件以来、同様の外部からの襲撃に備える為、港に大砲が設置されることになり今日に至っている。
COFFEE BREAK
ヘイマエイ島へのフェリー乗船記
筆者は3度ヘイマエイ島を訪問する機会に恵まれたが、その内の1度は、同国で大変親しくなった国会議員V氏が案内してくれた時だ。
当時65歳だったV氏は、28歳から35歳までの7年間を大手銀行の同島にある支店で過ごしたが、それは大噴火のあった丁度7年後で、若く使命感に燃える銀行員として、地元の人達と一緒になって島の復興に苦労を重ねたことが忘れがたい経験となったそうだ。
また、自然に地元の人達とも深い関係を築くことが出来た為、それ以来、大のウエストマン諸島(ヘイマエイ島)ファンになったとのことだった。