ただ『記紀』を読み解くと、古代史の流れの中で標澪(みおつくし)となる二つの注目すべき事柄に気づく。

一つは前述した皇統の不連続性である。「継体天皇」が建国以来の直系でないことを明記している。もう一つは天皇家の出自である。「神武天皇」と称される天皇家の始祖は九州日向国から移り戦って大和の地に国を得たとなっている。この記述を虚偽と判断する証拠や意味は思いつかない。


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『古事記』中つ巻 懿徳天皇(四代)の「鉏友」について

「東のほう十二道の荒ぶる神、また伏はぬ人等を言向け和平せ。」とのりたまひて、吉備臣等の祖、名は御鉏友耳建日子を副へて遣はしし時、杠谷樹の八尋矛を給ひき。

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『日本書紀』巻第四 懿徳天皇(四代)の「鉏友」について

「……、即ち兵を挙げて撃たむ」とまうす。仍りて重ねて再拝みまつる。天皇、則ち吉備武彦と大伴武日連とに命せたまいて、日本武尊に従はしむ。

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