この二点を史実と見なし、これを起点として天皇に関して記載された情報が、どの時期、どの場所、どの人(氏族)の記述か疑うべきである。また考古学的な知見を状況証拠として、大きな歴史の流れの中で、未整理状態のデータバンクとしての『記紀』を読み解く姿勢が大切である。最後に『日本書紀』における天皇の在位期間の連続性について考えたい。『記紀』は中国史書と比較して人数や距離などに具体的な数値を示すことが少ないこ…
[連載]いにしえの散歩道
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歴史・地理『いにしえの散歩道』【第5回】大津 荒丸
なぜ「倭の五王」が「大和天皇家」に対応しないかを考察してみたところ…
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歴史・地理『いにしえの散歩道』【第4回】大津 荒丸
【日本史】史実が書かれていない第2~9代天皇、「欠史八代」。天皇は実在したのか、創作なのか? 否、別の可能性が…
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歴史・地理『いにしえの散歩道』【第3回】大津 荒丸
文字を創り、文字に神秘性を感じていた中華民と「言霊(ことだま)」という表現にあるように言葉に霊力を感じていた古代の日本人
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歴史・地理『いにしえの散歩道』【第2回】大津 荒丸
歴史書の多くは勝者の記録。歴史書において辺境の倭国は客観的な記載が期待できる可能性が高い
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歴史・地理『いにしえの散歩道』【新連載】大津 荒丸
文献に記されなかった人々の声は誰が聞く?…歴史学者がいつのまにか作り出す定説には罠がある