第一話 古代の史書と読み解き方
他方日本の古代史書、主に『記紀』にどう対応すべきだろうか。無類の記録好きだった古代中華民に比べ、古代の日本人は文字(漢字)の導入が遅れたこともあって、文章より言葉を重視する傾向にあった。
「言霊(ことだま)」という表現は言葉に霊力を感じていた証拠である。『魏志倭人伝』に卑弥呼が「鬼道を事とし衆を惑わす」との記事も、恐山の「いたこ」の口寄せのように憑依し神意を人々に伝える様子を示したものと見なされている。
文字を創り、文字に神秘性を感じていた中華民と対照的である。
外来の借り物で記述された文書を軽んじる傾向は現代の日本にも引き継がれている。太平洋戦争終結前後の行政府、軍部は記録文書を焼却する暴挙を行い、最近の行政訴訟では官僚が記録を都合良く紛失(?)する行為や、宰相に対する忖度により公文書の改ざんを行うなど、枚挙にいとまがない。
文書を軽視する日本人は国史の編纂にあたりどのような指針を持ったのだろうか。
『記紀』を創作物とする見方がある。もしこのことを想定するならば、創作箇所を抽出することはほぼ不可能である。
確かに建国に至る神話には荒唐無稽な話が多い。しかし『記紀』を編纂する時点で編纂者達が、創作や捏造をする意図を持っていたとは考えにくい証拠がある。
「継体天皇」(二六代)は「応神天皇」(一五代)の五世孫と記されている。『記紀』編纂時における皇統が、建国の祖である「神武天皇」の直系でないことを隠していない。
しかも『古事記』では五世孫に至る祖先の人名は記されず、いかがわしさの残る傍流であることを明記している。もし捏造が可能なら、この条項こそ神武以来の直系に改変できたはずだろう。
国史の編纂とは、その政権の正統性を主張する作業にほかならない。しかしそれをしなかった。なぜ神武直系の歴史を作らなかったのか。あるいは作れなかったのか。