第一話 古代の史書と読み解き方
民俗学の分野では、固有文字を持たない民族は、建国譚や英雄譚を歌謡や舞踊により代々伝えることが知られている。『記紀』においても歌謡が多く記載され、書物全体が抒情的である。特に数字の少なさに気づく。中国の史書は叙事的で、例えば戦の記録では双方の人数を記述しているが、『記紀』ではほとんどが戦乱の原因と経過の記述である。
つまり古代日本人の歴史情報は記録として残されておらず、歌謡や語りに載せられた記憶に依存していたと考えた方が真実に近いのではないか。
『古事記』の序文にも稗田阿礼(ひえだのあれ)という聡明な舎人(とねり)に「日継と旧辞を誦み習わせた」とある。日継と旧辞は天皇家に伝わる事跡の記録ではなく記憶であることが、「誦み習わせた」の表現に示されている。さらに諸豪族が伝えて来た家系、建国の経緯、英雄の活躍等を、稗田阿礼に代表される記憶力の優れた官僚に聴き取らせる作業と解釈できる。
『記紀』の原資料はまさにこの記憶と言って良いだろう。
ではこの情報を基にどのような意図で歴史の編纂、再構築が為されたのか。一番の目的は天皇家の権威を高めることである。日本全体が天皇家を中心に統一された宣言であり、その過程の歴史である。しかしこれは両刃の剣で、一歩誤ると権威が地に墜ちる。誤った記載が次々と指摘されると、天皇家の威信も揺るぎかねない。
「欠史八代」と呼ばれる期間がある。第二代から九代天皇のことで、史実は何も書かれていない。史書に歴史的事柄を書かない意味は、そこに何が書かれているかを吟味すれば理解できる。そこに書かれた内容は后と子供達、外戚と天皇家に繋がる豪族の祖先である。特に『古事記』は史書というより、氏族の出自紹介本の色彩が濃い。奈良時代の大小の豪族が網羅されている。