はじめに

中学・高校時代に歴史、特に古代を学んだ時、納得できない事柄がいくつかあった。一例を挙げると福岡県の志賀島から出土した金印である。「漢委奴国王」と彫られた文字を「カンノワノナノ国王」と読むと教えられた。

その時感じたことは「ナ国王」に金印が贈られたなら、「ワ国王」にはどのような印が贈られるのかという疑問だった。また「ワ」と読む文字は写真で見る限り「委」であり、この文字は「イ」としか読めないはずだと思った。

長ずるに及び、世間的な常識や政治に関する知識を身につけると、「カンノワノナノ国王」に金印を下賜する行為があり得ないとの思いが強くなった。

漢皇帝が「ワ国王」の頭越しに「ナ国王」と交渉すること自体、「ワ国王」に失礼な越権行為であり、外交において考えにくい。勘ぐるならば、漢皇帝が「ナ国王」に「ワ国」を倒すよう促していることも考えられる。

実際にはこのような意味合いを持つ金印とは考えられないので、「カンノワノナノ国王」の読み方が間違っていると理解すべきだろう。印に彫られた字面通り「漢の委奴国王」と読めばよい。

では「委奴国」はどこに存在するのだろう。この点の考察は後の「金印」の話題で述べたい。古代史の疑問点や納得できないところ、違和感を覚える部分を考えると、歴史学者の性癖に気づく。

その一つが「つまみ食い」である。前述の「ナ国」についても、『三国志』の魏志東夷伝・倭人(いわゆる『魏志倭人伝』)の中に、卑弥呼の国邪馬台国に至る途中に「奴国」が見られる。

この「奴国」を「つまみ食い」して「ワノナノ国」と読ませているようだ。三世紀に在った「奴国」が、一世紀において存在した証拠はない。

「つまみ食い」と関連するが、歴史学者にみられる性癖に「推理小説マニア」的思考がある。推理小説において犯人は必ず登場人物の中にいる。そうでなければ小説は成立しない。

しかし実際の犯罪事件では、犯人の可能性は被害者本人から家族、知人そして行きずりの他人まで無数存在する。その中から可能性のない者を消去して残った犯人を探す。これが犯罪捜査の常道だと思う。

文献上に知られた人物に直ちに対応を求めるのではなく、広くそれ以外の該当者が存在する可能性を思考の片隅に置くことが大切だろう。

その「推理小説マニア」的な例が、『隋書』に記された「倭王あり、姓は阿毎、字は多利思比孤」に対応する人物である。

教科書には「日出る処の天子、書を日没する処の天子に致す、恙無(つつがな)きや」の国書を引用し、この人物を聖徳太子としている。『隋書』の倭王を聖徳太子とする根拠はどこにあるのだろうか。

『古事記』『日本書紀』(以下『記紀』と記す)に登場する人物から探すという、推理小説マニアの思考法により、他の不一致に目をつぶって導き出された答えが正しいと言えるのだろうか。