中途半端に壊れているからこそ辛い部分もあった。
もう無駄に余計なことを考えず、悩み苦しむことからも解放されるのならば……。
いろいろ悩んだけれど、私にとってそれが幸せとは思えず、辛くても逃げずにもう一度だけ夢を追いたい。これで最後にすると決め、薬をやめることに専念し、父と一樹の協力のおかげで、3年ぶりにもう一度あの大学に入学した。
泣いても笑ってもこれが本当に最後のチャンス。
しかし、結局、結論から言うとやはり夏休み明けの後期から前回とまったく同じ事が起きてしまい、二度目の大学も退学で終わった。
そして、ちょうど二度目の大学に通い始めた頃に父と母の関係が悪化し、父がついに家を出ていく形で、両親は別居することとなった。これから生活費はどう受け取ればいいのかなど、母はそのことを父には言えず口ばかりで何も行動をせず、すべて私に頼りっぱなしだった。
生活費の受け取りを含め、私は二人の板挟みという状況になった。しかし、私を頼ってきたくせに文句ばかり言ってくる母に私は呆れた。大学の昼食は母が作ったお弁当を食べていたが、アルバイトと大学の勉強に加え、二人の板挟みで憔悴していき、食欲がなかったのかは無自覚だったが、お弁当を残すようになった。
【前回記事を読む】未遂とはいえ、私は10年もがき苦しんできた。この問題に向き合おう。本人とちゃんと話そう。だが、彼の返答は「覚えてない」
次回更新は1月16日(木)、21時の予定です。
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