生い立ち編 「勉強こそが人生を切り拓くと信じて」
2.自我の確立 (神とは何か? 小学校5年生の出来事)
親の方針通り生きていれば自分の将来はないと思えたので、何とかして勉強をして研究者になりたいと思った。
家の手伝いをしながらの勉強であり、5年生までの5年間の遅れを取り戻すのは簡単なことではない。理科とか数学は概念を理解できれば、何とかついていけた。
国語は大変なことになった。特に漢字を全く知らないので国語の遅れを取り戻すのは大変なことで、文章も幼稚な文章になってしまう。勉強の仕方も知らない。
国語は過去の積み重ねなので、予習をすれば良い訳ではない。今なら漢字ドリルのような参考書で勉強すれば良いのだが、そんなことは知らない。
私は自我により勉強をする気になったが、商売の仕事が減る訳ではないので、勉強をする時間が少なく苦しい戦いが続く。授業を一生懸命聞く、また、電車の広告から漢字を覚えた。
それでも夢は大きく、京都大学に進み学者を目指したいと思った。小学校の同級生ではH君が兵庫高校、京都大学に通い、京都大学の教授になられた。
自我は何処から生まれるのか?
「純粋な気持ちで、自分の進むべき道を考えることにより導き出される考え方」だろう。父の勉強不要論に従い、大きな挫折を味わったし、母の信仰も理解ができなかった。これらの疑問が私の自我を育てた。
人間には反抗期があり、親とは異なる考えを自由に取り入れ、親と対立する仕組みがあるのだろう。そのことにより多様な将来が構築される仕組みが「自我の確立」かも知れない。
私の場合でも「神は科学」という結論に達した。「科学を学ばねば」と本気で思うようになり、私の自我が確立され、両親との長い戦いが続くことになった。私は両親の自我と戦い、新しい時代に適応した自我を確立したと思っている。
しかし、両親の自我から逃れるには長い時間が掛かり、苦しめられることになった。父親の自我に従いながら、自分の自我を大切にしてきたので、勉学面では遅れを取ったが、若い頃から沢山のお客様との付き合いができて忙しい人生を送ったので社会的な見識を広められたのも確かだ。