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鮮魚店の一日は朝早くから始まる。ハルはまだ外が暗いうちの朝5時に起きて地元の中央卸売市場へ買い出しに出かける。市場でその日の魚を競り落として必要な野菜や果物などを買い、市場の食堂で朝食を済ませて磯吉商店には朝8時前に戻ってくる。8時に出勤する従業員に車から魚を下ろしてもらっている間に注文を確認し、配達の早い順にみんなで魚をさばき始めるのだ。
今日も鮮魚店の店先にはいつものようにたくさんの発泡スチロールの箱が高く積まれている。びっしり詰め込まれた氷の中に鯖や鰯や赤魚やいろんな魚がさばかれる順番を待っている。一番大きい発泡スチロールの箱にはマグロが一本丸ごと入っていて愛くるしい黒い目がギロッと上を見つめている。
市内のレストランやホテル、幼稚園から病院と、市場で買ってきた魚を注文に合わせて切りさばいてから配達していくのだ。鱗(うろこ)をとって腹ワタを出し、指定されたグラムに切り分けて配達用のパレットに並べていく。なかなか手間のかかる仕事だ。
2台の大きな調理台が並び、どの調理台でも魚の血を洗い流すための水道水を細く流しっぱなしにしている。魚の鮮度を保つため空調は低めの温度に設定されていて、夏は涼しくて快適だが、冬は長靴の中で足先が凍えるように冷たくなる。その日も足元まである耐水のビニールエプロンをかけて黒い長靴を履き、鮮魚店の従業員3人はハルと共に働いていた。
「シンはまた自分の使ったまな板と包丁を片付けもせんとどこかへ行ってしもたんか」とハルは魚をさばく手を止めずにさっきまでシンが使っていた調理台を見てため息をついた。シンに任せた魚が手つかずのまま、まだ半分も残っている。
シンは父親の葬式が終った後、北海道の会社を辞めて家に戻り、磯吉商店で働き始めてやっと1年が経った頃だった。母親キヨの望みは叶ったものの魚屋に生まれた息子ながら初めて魚と向き合っているのだ。
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