あァ~、騙されるとはこういう感じかァ~、息子を道連(みちづ)れに騙(だま)されて大阪まで来てしまったァ~、息子にはどう説明すればよいのだァ~、と思いつつ、しかし心の片隅(かたすみ)の片隅では、ちょっと待てヨ、そもそも我が家には騙(だま)されて奪(うば)われるものが一つとして何もないぞ。
お金はない。家も借家(しゃくや)。確かに定食屋は繁盛(はんじょう)しているが、大学生になったばかりの息子にこれからお金は掛かる一方(いっぽう)。そんな何もない私を騙したところで骨折(ほねお)り損(ぞん)のくたびれ儲(もう)け。
姉はそんな馬鹿(ばか)ではない。ということは、『伝えなあかんこと』だけ聞けば無事に大阪を脱出(だっしゅつ)できるかもしれない、いやいや、あの姉がそんなことだけでわざわざ私を大阪に来させるとは思えない、と私の心の中では、好奇心(こうきしん)と猜疑心(さいぎしん)が言い合いをしている。
姉の案内でビルの玄関先(げんかんさき)に立った。左右にドアが滑(なめ)らかに開き、エレベーターのドアまでもが私達を静かに招(まね)き入れてくれ、確か三階に昇ったと思う。うまい話には裏(うら)が有るという先人達(せんじんたち)の教(おし)えが頭を過(よぎ)る。
滑(なめ)らかに開いた玄関ドア。続いてエレベーターのドアまでもが私に優(やさ)しい。姉がこれらの物まで手なずけたのか。怪(あや)しい。うま過(す)ぎる。これらの文明(ぶんめい)の力にまで騙(だま)されてたまるかと、鼻息(はないき)がどう考えても我(われ)ながら荒(あら)過ぎてはいる。エレベーターの中の三人は無言(むごん)だった。
三階らしき所で止まりドアが開くと、そこは廊下(ろうか)ではなくいきなり広いフロアーだった。最初に目に入ったのは、中央にドデンと置かれた威張(いば)り腐(くさ)った黒の革(かわ)の立派(りっぱ)な応接(おうせつ)セットだった。
私が普段(ふだん)着(き)ている一九八〇円の服の、優(ゆう)に二百倍はするであろう上質(じょうしつ)の本革(ほんがわ)の服を着た、このフロアーの主(ぬし)のようなソファだ。
と、思ったその瞬間(しゅんかん)、『妹さん、病気やなァ』、と言った住職であろうはずの唱(とな)えるお経(きょう)が聞こえた。フロアーはL字型らしく、お経は聞こえるが姿は見えない。いよいよ姉の案内で住職の元に進むと、坊主頭(ぼうずあたま)の住職の後ろ姿を遂に見た。法衣(ほうい)ではなく、濃紺(のうこん)の作務衣(さむえ)姿(すがた)だ。
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