ほっとして肩の力を抜いた瞬間、「おい」と後ろから右肩をいきなり掴まれ、海智は思わず飛び上がった。驚いて振り返るとそこには六十歳くらいで、頭が禿げ上がった丸い赤ら顔のオヤジがにやにや笑いながら立っていた。
黒縁眼鏡をかけて偉そうに口髭なんか生やしている。病衣を着ているが、腹がでっぷりと飛び出しているせいか下の二つくらいのボタンはかけておらず白い肌着が見えている。
「君も野次馬か」
にやにや笑いながらそのオヤジが訊ねた。
「そ、そんなんじゃありませんよ」
「じゃあ何だ。トイレなら後ろだぞ。看護師に用があるんならナースコールを押せばいいだろ。後ろから君の様子を見ていたんだがね。あの動きは何かコソ泥みたいな感じだったぞ。さっき看護師が出てきたら相当驚いていたな。泥棒の汚名を着せられたくなかったら正直に野次馬を認めた方がいいぞ。
なに、そういう俺もれっきとした野次馬なんだから何も恥ずかしがることはない。同じ穴の狢というわけだ。いや、今夜は暑くてなかなか眠れなくてね。もう少しクーラーを効かせてくれるといいんだがね。
それに隣のベッドの爺さんが大きな鼾を掻くもんだから余計眠れずにイライラしていたら、騒ぎが聞こえたもんだからこうして出てきたら君の背中が見えたわけさ」
「僕は野次馬なんかじゃありません。ただ知り合いがここで働いているので心配になって見に来ただけです」
「知り合い? さっきの看護師さんか?」
なんて勘のいいオヤジだろうと思いながら、「ええ、まあ」と海智は答えた。
「好きなのか?」
「は?」
「あの子のことが好きなんだろう? そうじゃなきゃお前、夜中にわざわざ病室を抜け出して見に来ようなんて思わないだろう」
「そ、そんなんじゃありませんよ。ただの同級生です」
「そうか、じゃ、まあそういうことにしておこう」
そのオヤジは勝手に納得するとにやりと妙な笑顔を見せた。
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次回更新は12月29日(日)、11時の予定です。
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