事故の当日、日本にいる両親に代わって、麗央を連れて帰るための全ての手続きを一人で進めた。両親は一日遅れて愛莉に合流した。親の顔を見たら、それまでこらえていたものがあふれ出してきた。

しかし、両親は海外経験が少なくただおろおろとしている。両親が到着してからも走り回っていた。母は崩れ落ちるように座り込んだまま動けず、誰かが常に肩を支えていなければならなかった。

父はなんとか実務的なことを進めようとするものの、慣れない土地での慣れない仕事がはかどるはずもなく、領事館員のサポートが頼りだった。レーシングチームやレース場からの弔問にも誰かがいなければならなかった。

スイスの合宿所から駆けつけてきた仲間たちにずいぶん助けられた。スポーツ新聞やF1専門の雑誌の記者が駆けつけてきたが、トレーナーがある程度さばいてくれたので、囲み取材は二回で収まった。

事故である以上、司法解剖が行われる。その承諾書も書かなければならない。解剖が終わって遺体が返還されるまでの二日間、殆ど腰掛ける時間もないぐらいに忙しかった。多くの人に支えられたとはいえ、何をしていたのか覚えていない。トレーナーが駆けつけ、サポートしてくれたが、記憶が曖昧だ。

さらに、麗央を日本に連れて帰るには飛行機に乗せなければならないが、大量のドライアイスの手配や検疫など、その手続きは思った以上に大変だった。生きている人が飛行機に乗るのであれば、何ということのない手続きが、亡くなっている人の場合、一つひとつとても大変だった。

ただ右往左往していた。何とか手続きを済ませ、飛行機に乗り込んだときには疲れと寝不足から泥のように眠った。全ての感情をなくしていた。関西国際空港の上空に来たとき、なぜか泣きたいわけでもないのに、涙がにじみ出た。

紀伊水道の波打つ海に波頭の一つひとつがくっきりと見える頃になって、ふと何か忘れ物をしているような気持ちになった。しかし、それが何なのか思い出せない。事故以降の場面は、何か磨りガラス越しにテレビを見ているような、全てが自分とは違う世界の実態のないものでもあるような感覚がしていた。

  

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